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洪水と共に歩む

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幸せ疲れ

近年、くたびれやすい。というかいつもくたびれている。だから体調も崩しやすい。年を取ったということもあるあろうが、最大の理由は分かっているつもり。まず間違いない。

それは息子がいるということ。

肉体を酷使する職の人は、休日や夜に「寝る」ことで回復を図る。これまでの私もそう。日曜の10:20からNHKで将棋を見る。酒こそ飲まぬが至福の時間。見ながらそのうち眠りに落ちる。起きたときは次の囲碁の番組に変わっていて、「あれ、どっちが勝ったんだ?!」などと寝ぼけて慌てることが、可能な限り毎週進歩もなく繰り返されるのだが、このことが日々の疲れをとる絶妙の休息になっていたことだろう。

これは一例だが、暇を見てはちょこちょこする昼寝。このことが今はできない。

3歳の息子は昼寝が嫌い。休日は朝から休みなく動き回る。だけでなく、愚図りまくる。とても昼寝を「気持ちよく」させてはくれない。平日の夜も私の疲れやクタビレなどは当然知ったことではない。ほとんどのターゲットは女房だが、「あっちに行ったよ、良かった」などと他人事のようにしてもいられない。女房も出荷作業や経理を一手に切り盛りしていて、疲れている。

また夜中も熟睡できない。寝相が悪くて布団の上をコロコロ転がってやがるので、夜中に突然顔を蹴られる。また体の上に乗ってくる。どうなってんだお前?それから布団を蹴飛ばす。我が家の朝晩は夏でも寒いので、そのままでは風邪をひく。夜中でも可能な限り目が覚めたときは起きて布団をかけてやる。

とここまで書いて、休息が思うようにとれないということが、裏返せば(裏返す必要もないほど)いかに幸せなことかと実感する。震災や戦争。世の中には大きな悲しみを背負った人も多いというのに。

こんなネタを書くことも、一時多くあった、年賀状に子どもだけの写真を載せることの賛否を思い出してしまって、本当は気が引ける。(FBのプロフィールに子どもを抱いた写真を使っているのも、次の写真を撮るまでと思いつつ、ずるずるいっている。)しかしまあ、「農家の日常の些細な実態」の紹介を、「まだ子どもを作る予定がない」という人向けに、書いておく。
by tanboya3 | 2012-08-30 06:49 | 生き方

この季節の高熱

今週はてんこ盛りのタイミングが訪れていて大変忙しい予定なのだが、一昨日の未明から39度を越える熱を出しくたばっている。こんな高熱はいつ以来か。ちょうど家族で松江に出張中だったから、操縦不能の3歳児を抱えた帰路は結構辛いものがあった。

お盆を過ぎた頃から、「日向嫌悪症」とか「太陽光過敏症」などと自分では言っていたが、日光に当たることにつくづくウンザリしていた。そうもいかないので仕方なく陽を浴びて作業はするが、どうにも辛い。気分的に滅入るばかりでなく、実際に粘りが利かない。単に「夏ばて」ということなのかどうか。最近は体力的にはゆとりをもってやっていたつもりなのだが。

これを書く今、37度は切ったが、頭と喉が痛い。でやっぱり日向を想像するとウンザリする。晴れの日は外に出たくない。元気になれば大丈夫とは思っているが、もしこのままだったら、これからのわくわくする農業人生はどうなってしまうのか、などと弱気になっている。

ところで、3年前に自然栽培を始めてからは、解熱剤などの薬のたぐいは一切を飲まなくなった。これって結構、快感。畑の土と同様に、私の体からも時間をかけて悪いものを出していく。自然に任せるか、と一方で、余裕もある。
by tanboya3 | 2012-08-27 06:46 | 暦・天候
従業員になってもらうための研修とは、ある意味で簡単である。

従業員は1から100までの仕事ができる必要はなく、そのうち20くらいだけでも極めてくれればいい。残りの80は私が浮いた時間で作付けを増やし売り上げを上げればいいということ。従業員になるというのは農業経営にこのように貢献することである。

だからとにかく特定の作業をしっかり任せられるようになってくれればいいのであるから、原則として仕事を教える。時には考えさせるために教えないことももちろんあるが、まずはできそうなことから具体的に教える。極端なことをいえば、その子の性格なんかどうでも良い。人間的にどうであろうがなかろうが関係ない。厳しいことも言うが、時には誉めておだてて、とにかく作業が任せられるようになるよう指導する。研修に受け入れた子が「常識的な生活観さえ持っていれば」、最低限の戦力にするというのはそう難しいことではない。

ただその次には、待遇との関わりが出てくる。最低賃金にかろうじて見合う戦力というだけでは、その子の未来はない。結婚もして家庭を持つこともできまい。だからゆくゆくは最低でも年収250万円くらい払えるようにはなって欲しい。単純に例えるなら、私が「こいつがいろんな作業を肩代わりしてくれるから、今年は田んぼを3haとゴボウのトンネルを10棟増やせるな。」と思えるくらいの実力になるということ。そのためにはそれなりの努力もいるがセンスもいる。性格も人間性もいくらかは関わってくる。上達しないのはまずはそこに問題がある場合が多い。それが改善の見通しがないから、じゃあ仕方がない、今の給料で我慢しろよ、というのではこれからのその子の人生を考えた時にためにならない。だったら1年でも若いうちに他の仕事に就いたほうがいい。私としてはいてくれれば都合が良くて助かるのだが、それができない。従業員になった2人のうちの1人は、そんな感じで話し合って辞めてもらった。

3~4年に1人くらい育ってもらって、いずれ3人くらい抱えることができるといいなあ、と当初はぼんやり考えていたが、2度目の大きな洪水の洗礼を受け、従業員のいない体制に踏み切った。募集もしない。必要なときにパート的に地域の人にお願いするだけ。今後もよっぽどのことがない限り方針は変えないだろう。そして、それに代わる貢献で自分にできることは何だろう、と考えたときに、従業員ではなく、独立就農者が増えることへの一助になることだと確信するようになったわけである。

続けるか。
by tanboya3 | 2012-08-24 06:44 | 新規就農・起業・研修

従業員になるための研修

このたびが実質で初めての研修生受け入れと書いたが、これは舌足らず。実はこれまでにも数人の「研修生」を受け入れていて、同じ「研修生」でも意味合いが異なる。どんな違いか。それは、

「従業員になるための」研修か、「社長さんになるための」研修か、ということ。

前者と後者では研修内容は全く異なる。味も素っ気もなく言えば、前者は「研修終了後に、組織の一員として最低賃金以上の賃金に見合うだけの戦力となるための研修」である。例えば給与を年間でおよそ130万円とすれば、最低でも200万円以上の会社の売り上げ増に貢献できる戦力にならないといけないということになる。研修中は給与助成の制度などがあるので仕事ができなくても、まあいい。しかし研修が終わって助成がなくなったときに、相変わらず仕事ができない、せっかく雇ったのに売り上げが150万円しか上がらなかった、というのでは、会社は200-150=50万円以上の持ち出しである。うちのように会社とは名ばかりの家族経営であれば、実質は私の懐からの持ちだしのようなもの。1人雇ったら生活が厳しくなった、息子のおむつ代が出なくなった、というのでは話にならない。

だから、研修が終わって助成金が切れた時点でその人の実力を見極めるとになるのだが、明らかに「使い物にならない」という場合は従業員としての雇用を諦めざるを得ない。せっかく1年も研修したのに、諦めてもらわなければならない。こちらも骨を折った労が報われない。だからそうならないように研修中はハッパをかけながらやっていく。しかしその意味が体に染みて分からない子もいれば、分かっていて努力はするんだけど素質に問題がある子もいて、これまでに受け入れてきた6人のうち4人は、従業員になることを諦めて辞めてもらった。

まじめに頑張ったにも関わらず素質に問題があって従業員になれないということを防ぐために、研修生の採用面接や試験というものがあるのだが、ここでの私の態度は微妙だった。無理とは思いつつ、機会は与えてやりたいという気持ち。それで初めの3ヶ月は「研修生の試用期間」ということになった。私が明らかに無理と思ったときは3ヶ月経ったときにやめてもらう。その方が傷は少ない。もちろん初めにそのことに合意してもらう。合意の上で挑戦してもらう。

諦めてもらった4人のうち2人はこの段階で。今となっては、これも酷だった、初めから研修をさせなければ良かったと、私の若気の至りを反省している。

続く。
by tanboya3 | 2012-08-23 06:42 | 新規就農・起業・研修

8月を楽にするために

うちの今の作目であれば、春からの管理が上手くいけば8月は少しゆとりができる。例えば1日に5時間くらいしか作業をする必要がない、とかね。クソ暑い時期にありがたい話なんだよね。

ところが、こう言えるには前提があって、経営面積が適正であるということ。うちは今20ha。ここ数年の試行によって、これは明らかに広すぎるという結論が出ている。しかもこのうち4haは何も植えておらず、ただ草刈などの管理をしている。年間でここに投下する労働は当然かなりの時間になる。これを切り離さない限り、8月にゆとりが生まれることはもちろん、私が楽になることも、経営が安定することもありえない。逆にこれさえ整理してしまえば、理想の経営に落ち着くという確信を得ている。

ということで、大きな洪水もなく、農繁期を元気でやってきたくせに、今年の夏もやたらと忙しい。早く経営面積を縮小したい。

そのための最大の課題が、ゴボウ栽培を連作に近づけるということ。「洪水との共存」を人生の命題に上げているが、それは突き詰めればこれを実現するということともいえる。さっぱり意味が分からない人向けにいうと、技術本の類にはゴボウは5~6年は空けて栽培しろと書かれている。確かにうちの畑でも4年空けて作付けしたら途中で枯れてなくなってしまったという畑もあった。しかし自然のゴボウが自らの足元に種を落とし、休眠期間もないままに発芽するところを見ると、連作は可能であり、それを不可能にしているのは人間のせい、大きな要因は肥料、ということなのだと考えている。だから無肥料管理を基本とした自然栽培。これこそが鍵である。

5~7月の最悪の繁忙期を過ぎたら、クソ暑い8月にちょっと一休み。というサイクルは長い目でみて必要である。暑苦しい努力を重ねて日々の課題を解決していくことは必要だが、肝心かなめの課題の解決のみでも、物事はいっぺんに良くなる。
by tanboya3 | 2012-08-20 06:37 | 経営(作型・作付け体系)

帰省は蒜山と勝山へ

お盆休みを2日とって、初日は隣県の倉吉市の女房の里へ。私は夏ばてやら腰痛やらでまともにしてはいられない。お邪魔しておいてゴロゴロばかりしていた。息子が「おじいちゃん」と嬉しそうに遊ぶさまにこの上もなく癒される。

2日目は蒜山。蒜山耕藝の圃場見学。いやはや自然栽培1年めの凄い稲だ。うちの田んぼとはまったく表情が違う。水もきれいそうだし羨ましい条件もあれば、草刈り面積の多さなどの厳しさもある。農業とは、その土地土地の、長所はありがたく「拝借」して、短所にいかに寄り添っていけるかが大事ということだろうと思っているが、そのことに改めて思い入る。うちの田んぼなら短所は水。江の川の水と、八戸川(やとがわ)の水。どちらも現代の常識程度には汚い。ここに寄り添う。土が浄化して稲にはそれが影響しないような、そういう田んぼの土をつくるということ。けっして物語ではなくて、現実にそういう事例がある。百姓とはこういう自然の素晴らしさを具現できる唯一の立場。自分の人生に感謝。

続いて、勝山のタルマーリー。職人業界ならではのネタで盛り上がる。その中で、「いいパン職人を育て、必ずしも都会ではなく、いい生産者のいる土地で開業する流れを作りたい。」との店主の言葉。聞いた瞬間、心が震えた。深さをどう表現していいか。パン屋さんに限らず、あらゆる「加工屋さん」がこういう意識を持つことができれば、世の中はどんなに魅力的なものになるか。世の加工屋さんたちに高いレベルの意識を持ってもらうためには、・・・それには自分ら生産者が高い意識をもつこと。本当は相乗効果なんだろうけど、生産者である私にはそうとしか言えないね。改めて自分の人生に感謝。

考えてみると倉吉の女房の実家からタルマーリーまで車でわずか1時間という距離。あらためて、「連中」が近くにいるということと、鳥取県の「薄さ」を痛感(笑)。

陽も傾き、帰りの中国道のSAの公園で、息子とボールで遊ぶ。そろそろ帰ろと言うと、「いっぱい遊ぶっていったじゃん。」息子にとってはつまらない2日目だったろう。行動中、頑張ってずっと我慢しているそぶりがよくわかった。いつかはこういう旅を一緒に楽しめる日が来ることを願いつつ、とりあえず今度の日曜は、疲れを押してでも一緒にいっぱい遊んでやりたいと思っている。
by tanboya3 | 2012-08-17 06:36 | その他
「反田のゴボウは確かに美味い。でもそれ以外の桜江産のゴボウも十分美味いから、化学物質でもなんでも使って、どんどんゴボウを栽培すればいいんだ。」

という真面目な声があると聞いた。まあそうだろう。

ここで考えないとならないのは、「・・・すればいいんだ。」のニュアンス。すれば、何がいいのか。聞いた限りでは、近くの直売所がにぎわうこと、それが巡り巡って桜江地区の農業振興になる、ということらしかった。冗談だろう、と思ったが、真面目なのだという。これ行政の人らしい。おいおい、大丈夫か。

確かに直売所はにぎわうだろう。しかし桜江地区の農業がにぎわうことはあり得ない。にぎわってないから化学物質栽培のゴボウすらないわけで、それを栽培したらにぎわう、はおかしいだろう。「耕作放棄地解消のためには作物を栽培して売ればいい!」なんて単純なこと、小学生も高学年になればもう言わないぞ。

このあたりの直売所で売れたくらいでは農業経営は成り立たない。だったらどこか大口に売れば、と簡単に言われても、化学物質栽培ゴボウでは苦戦する。こういう作物はすでに市場が大きい。大きい市場は、すでに流通が固定されているし、相場の価格が決まっていてそれが新規参入に見合う数字ではない。農産加工で苦戦する理屈と同じ。

ということで、化学物質栽培で桜江ゴボウを振興しようなどとはもう考えない方がいい。そもそも、いまさら誰がやるんだ。ただでさえ農業などやりたくない人だらけの時代に、化学物質振りまいてでもやりたい!という「奇特」な人はなかなかいない。少しだけ時代を読んで欲しい。

それにしたって「抜けないゴボウ」で収穫に苦労までして無肥料管理でやらなくても、堆肥などは使うくらいでゆるくやればいいじゃないか。という声もすでに矛盾である。私の経験から言っても、堆肥や有機肥料を使えば、連作から遠ざかる。輪作の中で休閑年数が増えるのである。ということはわずかな面積のゴボウ栽培のために多くの空き圃場の維持管理をしていかなくてはならないということ。その空き圃場で栽培できる他の作物があればいいが、「洪水」と「鳥獣被害」と「冬の天候」の3兄弟のためにそういう作物はなかなか見当たらない。

だから田津(桜江)地区の未来を考えるなら、ゴボウを連作に近づけていくしかない。そうすれば農地に余裕が出てくるので、多くのゴボウ農家が入植することが可能になる。産地形成も見えてくる。

そのために必要なのが土に入れてきた肥料分を抜くということ。昨日、『具体的には土に放り込んできた肥料を抜くという作業。これなくしては田津地区の未来は見えない。』と書いたのはこういうこと。なにも飛躍はしていない。

少しだけ現場に耳を傾けてみて欲しい。ゴボウを栽培している人全員に。それをしないからミスマッチが続くんだ。現場が全てで、理論は後からついてくる。地域の農業振興を考えるなら、これって当たり前でないか。
by tanboya3 | 2012-08-14 17:10 | その他

私とゴボウ

昨日から雨が降り始めて、ようやく太陽熱マルチに取り掛かれた!のは良かったが、今度は降り過ぎ。今しがた強い雨で土がベトベトになってしまった。これでは作業ができない。もう明日中には終わらんよ。痺れるねえ。

うちのゴボウについて、蒜山耕藝のブログで高谷氏が書いてくれた。私が誉められている内容だが、なぜか私以外の他人のことみたいな気がして、読んでいて私が熱くなってしまった(笑)。私にない視点で「はんだ牛蒡」について書いてくれている。ぜひ一読してみてほしい。

確かに私がここで農業を始めたから、多くの人から評価をいただいている「はんだ牛蒡」がこの世に生まれた。それは間違いない。だが私の立場から言わせてもらえば、私がもっと自然について分かっていれば、もっと早くにこのゴボウは出現しただろうし、これからの展開にだってもっと大きな希望が見込まれることだろう。しかし、私がバカだから、田津地区の土に対して要らぬことをこれまでにしてきてしまったから、無知だから仕方がなかったとはいえ、そのために歩みを遅らせてしまっている。今は、これまでにしてきた「過ちの清算」。土の進化を自然の軌道に戻すこと。具体的には土に放り込んできた肥料を抜くという作業。これなくしては田津地区の未来は見えない。

そして同時進行で技術的・経営的なあらゆる問題への対応。私の力のなさは当然ながら現在進行形。当面のことがイマイチ、見えない。今までが遅れただけでなく、これからの展開も遅そうである。何ということか。ああ自分が情けない。

しかし後悔はないし、焦りもない。自分というものを見切ってしまえば、これらのものと縁はない。「下」を向いてただひたすらに歩くのみ。
by tanboya3 | 2012-08-13 17:09 | 経営(全般)
前回、変わること、と書いた。当たり前のことだが、「今」と「未来」があるから、「変わる」という概念がある。

この「今」と「未来」ということ。我々のような百姓にとっていつも無意識に感じている自然なことであるように思う。「未来」の土を想定して「今」の管理をする。当たり前すぎてこんなことを改めて書くことが白々しいくらい。

当然、育つ作物の品質や、経営についても、未来を想定することが前提ということになる。だから今が悪くても悲観はない。自分がしっかりしてさえいればきっと良くなると信じているし、ある程度において実際に必ず良くなる。

しかしこれまでに何かにつけ、「今」の状態のみで全てを判断したがる人は少なくないのだが、こういう人はそういう感覚が乏しいのだろうと思ってきた。うちのゴボウへの評価もしかり、経営への評価もしかり、私自信の評価もしかり。どうせ説明したってわかってもらえないので、適当に受け流すことになる。

中でも特に驚くことが多かったのが、自分自身をそういう目で見れない人が多いということ。今の自分を進歩の終わった完成された人間たど思っている。今の自分が全てで、未来の自分を無視している。「これを教えてあげたらきっと喜ばれるだろう」と思って言うと逆に機嫌が悪くなる人。改善策を提案するとなぜか落ち込む人。こういう人は「今」の自分がすべてなのだろうと思う。

こういう人は、ダメ出しをされると極度に落ち込む。そうではなく未来の自分で勝負というのであれば、成長や改善のヒントになるわけだから当然のことながらダメ出しはありがたいということになる。20歳の人は50歳のときの自分で勝負。40歳の人は70歳のときの自分で勝負。などと考えておけばいいのではないか。それで「なんだ、生涯、研鑽か。」ということに気がつく。

あらゆる世代の中で、若者が特にこういう感覚を自然に抱いている立場であると思っていたが、どうもそうではないらしいということを感じて久しい。今の研修生もごく普通の若者。普通の若者が未来に憧れて修行に来たんだから、今の自分に力がないから修行に来たんだから、力がないことを指摘されるのは自然なことだし、未来のためにとやかく言われることも自然なこと。そんなことを伝えている。

研修などというものは、このようなごく自然な道理が身に染みないうちは意味がない。彼もようやくスタートラインに立てるかどうか。

※ごぼう収穫の進捗率 88%
by tanboya3 | 2012-08-06 17:07 | 新規就農・起業・研修

18回目の生存記念日

今日は私の生存記念日。ほぼ毎年、このことについて書いている。

今の農業を始めたという人生最大のバクチに打って出れたのも、あの時の体験があったからだろう。「もう死んだんだ、今生きているのはオマケなんだから、メチャクチャやってみればいいさ。」という割り切りがあった。でなければあの頃の情けない私には絶対無理。あの日を境に確かに自分は変わったと思う。

人は変われる。そしてそのためには必ずしも死と紙一重に接する必要はないのではないか。私にとって明らかにあの日の体験は大きいが、少し自慢をすれば、いつでも変わりたいと念じながら何事も一生懸命にやっている。頑張るというのが大好きである。日々のこういう姿勢があるからこそ、あの日の体験をいい方向に生かすことができたのではないか。

生きているということは素晴らしい。何がか。「変わるものを見れる」ということではないか。子供の成長など最たるものだろうが、私の人生にとってはとりわけ「土」。土が変わるということ。考えていてこんなにわくわくすることはない。土が変わるところから始まって、最後に人の社会が変わるところまで本来は続いていくのだと思っている。だから一番初っ端の「土」のところに最前線で関わっていられる今の境遇にただただ感謝である。

生きていて本当によかった。
by tanboya3 | 2012-08-03 17:06 | 生き方

はんだ牛蒡ブログアーカイブ。月1回更新。日々のブログは、http://handa-shizensaibai.jp/          


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