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洪水と共に歩む

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作業人数を考える

明日は絶好のトンネル作業日和になることを見越して、日曜だったがスタッフと明日の段取りをした。

今年はトンネル設置作業が楽で早い。毎年の飽くなき工夫の賜物と思っているが、今日、明日でさらなる工夫を取り入れてみることにしている。

数人での共同作業の効率を考えるとき、例えば「作業員を1人増やしたら作業時間がどれだけ減るか」を考えることが基本だ。詳しく言うと、3人を4人にしたとき人数は4/3になるが、作業時間がその逆数の3/4より多いか少ないかを考える。少なくなっていれば効率が良くなったし、多くなっていれば効率は悪くなった、ということになる。

これまでトンネル設置作業は3人いないと効率が悪い、いや、むしろ出来ないと考えていたが、いい方法を思いついた。もしかすると2人でもいいかも知れない。人数が2/3になるので作業時間が今までの3/2(1.5倍)より少なくなるかどうかを試してみようというのだ。直感的には1.2~1.3倍くらいで出来そうな気がしている。

もちろん人間は機械ではないので、以上の考え方はあくまで原則だ。実際には、疲労による速度低下はどうか、作業員の個性・モチベーションはどうか、その作業自体を急いでいるか、ここ数日の作業を急いでいるか、品質管理はどうか、途中で随時中断できる作業か、などの視点を加味して作業人数を決める。

トンネルの設置作業は、タイミングがシビアな作業だし、このたびは大雨でひどい目にあった。正解を言えば少々効率が下がっても人数をかけて手早くやるに限る。しかし、3人いないとダメだと思っていた作業が、実は2人でも出来てむしろ効率がいいという事実があるとすれば、それを頭に入れているかどうかで今後の段取りがしやすくなる。

私は共同作業で「より少ない人数でより早く作業を終わらせる」ことにかけてはそう誰にも負けるものではないと自負しているが(地味な努力のみで今がある私にとって、唯一の生まれつきの才能といっても良い)、この4年に渡るトンネル設置作業は年々進化して実に痛快な試行だ。

「チリも積もれば山になる」ではない。「山になるチリを積もらせる」だ。様々なことを考えなければならない経営者にとってこの違いは大きい。
by tanboya3 | 2008-11-30 04:27 | 経営(全般)

トンネルゴボウの大被害

参った・・・。予想以上の強い雨だ。今段取り中のトンネル牛蒡に大きな被害が出てしまった。いや、出ている。現在進行形だ。どこまで被害が広がり、どこで止まるか、これを書いている現在降り続いている大雨がいつやむかにかかっている。

畑で応急処置をして帰ってきたところでこれを書いている。少し休憩だ。体も気分もくたびれた。あとは見守るしかない。トンネルの完成したところは「今のところ」大丈夫「そう」なので、この数日であと1日どこかで好天があったなら全てが完了していてこの被害は防げただろう。また、この時期こんな大雨が降るということを油断していて、そのつもりで段取りをしていなかったことも原因。しかし天気を言い訳にしていてはこれから先、私の目指す農業経営はできなくなる。このたびの反省をどう生かしていくか、それが肝心だ。

実際に、「来年からはこうしよう」という対策は何点か思いつく。この思いつくということが大事だ。もちろん手間的に経費的に現実的なものでなければ意味がないが、そのような対策がある間は必ず年々良くなる。今までもそうやって経営を向上させてきた。それらが思いつかなくなったとき、天気頼み、神頼みのバクチ経営が始まる。私の発想が天気にどこまで“寄り添えるか”が今後の要になる。

外の雨はまだ弱まる気配がない。こうしている間にも被害は拡大しているだろう。来年6月からの出荷の牛蒡は大きく減収となる。牛蒡は2年前から畑の段取りをしている。すぐに畑を変えて種を播くわけにもいかない。雨よ、1秒でも早く止んでくれ。
by tanboya3 | 2008-11-28 04:25 | 経営(作型・作付け体系)
よく「売り上げ」の話になる。経営をしているのだから自然なことだが、これが意外と安易な話で、なんとも噛み合わない場合が多い。

「売り上げ」というのは経営の一面に過ぎない。この数字だけでは何も分からない。例えば、米を育てて売って3000万円上げたのと、2500万円で仕入れたお米を売って3000万円上げたのを比較するとどうか。その大変さたるや雲泥の差だ。

「売り上げ」を増やすのは実に簡単だ。何かを仕入れて売ればいい。999万円で仕入れて1000万円で売る。あっという間に「売り上げ1000万円」だ。もっと簡単にするには、他人の商品を紹介するたびに伝票上は自分のところを通す約束にしておく。寝転んでいてもあっという間に売り上げは増える。あげく「自分は1人で1億円も売り上げた」とか「昨年より売り上げが1億円も増えた」などということになる。間違いではないが、だから何なのだ。

うちも昨年から「仕入れて売る」ことをいくらか始めたので、「売り上げ」はドーンと増えた。当たり前だ。しかし経営(利益)はいくらも変わらないので嬉しくもなんともない。しかし他人が聞くと「スゴイねえ」ということになる。実にアホらしい。

ちょっと考えれば分かるではないか。しかしこのように何か勘違い的な会話になることは“あまりに”多い。
by tanboya3 | 2008-11-25 04:22 | 経営(全般)
朝からトンネルの段取り。支柱を立てた後はビニール掛け。無風のときでないと厳しく、そよ風が吹いても大変な作業。運がいいことに昼過ぎには全てを終わらせる事ができた。

しかしまだ全体の3割を終わらせたに過ぎない。明日からまた悪天が続く予報。残りをできるのはいつになるか。3年前のように12月の声を聞いたとたんに畑が雪に覆われれば作付を諦めなければならない。うちは「仕入れて売る」のではなく「育てて売る」ことを第一義としているの「生産農業」の会社なので、そんなことになったら大変なことだ。経営が立ち行かなくなり、農業をやめなければならない。

私があまりに心配して落ち着かないので、「まあ普通は12月は(雪が)降らない、大丈夫だよ。」「反田さんは心配性だな。」的なことは何度となく言われてきた。しかし「普通」をあてにしていては、10年に1度、20年に1度の天候に遭って経営を断念せざるを得なくなる。当事者は生きるために「真剣」なのだ。

将棋が好きでよくテレビ将棋を見るが、解説者の読みより対局者の読みの方が勝っていることが普通だ。当事者とは深く深く考えているものだ。安易に他人を判断したりレッテルを貼って済ませる人は多い。私も偏見の塊のような人間なのでズバッと内心で断定することは多いが、「聞いてみないとわからない」ということは日ごろから心に留めている。このことは人との付き合いを楽しくする秘訣ではないかと思っている。

私にロクに聞きもせずに、勝手に私のことをトンチンカンに理解している(したがる)輩は多い。もっと若いころは誤解されていて落ち着かないとか悔しい、ということもあったが、様々な努力や経験をするうちに何とも気にならなくなった。むしろ上から目線で「この人は浅いな」などと余裕さえ持てる。

若者が対人関係でそういう悩みを持つことは自然なことと思う。それを解決する方法は、「ひたすら努力し自分を高めるに尽きる」と自信を持って言える。頑張れ。
by tanboya3 | 2008-11-23 04:19 | 生き方

奇跡の出張

ある自然食のレストランでうちの有機牛蒡を絶賛し素材として取り扱っていただいている。このたびは消費者を招いた勉強会に私も参加させてもらったのだ。

時間を忘れ懇親会。夕方からずっとで、夜中の1時を回っていたが、楽しさに時間を忘れて飲むということはいつ以来だったろうか。全てはこのレストランの社長さんの「人」なりの為した技。私はこれだけ大きな人を知らない。そんな方がうちの牛蒡を絶賛してくれる。ついでに私のことも持ち上げてくれる。何ともクスグッタイことだ。

しかし、私の人間(人間力)などたかがしれている。普通は私のことをいくら持ち上げてもらっても、自分を見切ってしまっている以上なかなか嬉しい感情は湧いてこない。しかし牛蒡を誉めてもらえることにはこの上もない喜びを感じる。

もちろん私は、良い牛蒡を育てることだけに人生の全てを注ぎ込んでいる、という訳ではない。正確に言えばそんなことに興味はないのだ。では何なのかといえば、「私がこの地の自然と一体となれれば、結果として良い牛蒡が育つだろう。」ということに他ならない。私の今の取り組みはそういうことなのだ。そしてそのことが地域を、この社会を良くしていくことを疑わない。

分かりにくいことを言ったかもしれない。このことを理解してもらえることは非常に少ない。しかしこの社長さんはこのようなことを理解してくれている。と私は思っている。その上で私を「持ち上げて」くれている。だから嬉しいのだ。

世間には「流行(はやり)」がある。言葉やファッションなどにだけではなく、心情や思考や行政にまで。私の取り組みは一方で流行っているとみることもできるが、実は大勢はそうではない。地元行政の農業振興策ですら流行に走っていると思わざるを得ない中で、うちの取り組みは無視されるほどの小さなものかもしれないが、当の本人は深くしっかりと地域に根ざすべく息の長い経営を目指しているつもりだ。

それにしても平日のランチからすごいお客さんだった。素材良し、調味料良しが大切と伺ったが、それだけではあるまい。理念良し、スタッフ良し、お客良し。活気がビシビシ体に響く。「土に命と愛ありて」。脱帽。
by tanboya3 | 2008-11-20 04:16 | 経営(全般)

忙しさの中で思う

また「つまらぬ」「繰り返しの」ネタになるが、忙しく時間が足りない。

どうしてこんなにやらねばならぬことがあるか、というくらい忙しい時期は度々あるが、もう私の頭の限界を超えている。特に今は、大事で急な用事や作業を抱えている上に、来週初めの出張で空けるためという事情がある。

人間は頭を使いすぎると脳や体に悪いということはないのだろうか。考えすぎると腹が減る。また頭が重くなるのは目がくたびれてそう感じるのだろうが、使えば使うほど良くなる、という定説はどうも素直に信じられない気がする。

周囲の人たちや、取引先の方たちの協力で、今抱えている懸念も何とか過ごせそうだ。昨夜はお世話になっている「楽しい」人たち(県職の人だがとてもそうは思えない人たち)と気晴らし、1杯やって楽しいひと時で息抜きもできた。いろんな人たちの協力で、今の私が生きている。特に女房の存在は大きい。外は薄暗いが、女房もこの時間、重い腹を抱えて未だ出荷場で1人出荷の作業をしているはずだ。

さあ、またやらねばならぬ。時間に追われて苦しいひと時も人間には必要なのだ。
by tanboya3 | 2008-11-14 04:13 | 経営(全般)
「午後から仕事」が恒例の日曜日。休もうと思えば休めるのだが、スタッフの仕事を用意しておかなければならない。1から10とまでは言わんでも4までくらいでもやりこなす力量があれば、何も私が休日に無理して用意をすることもないのだが、スタッフの力量は様々だし、採算をとる農作業、中でも微妙な加減の多い有機農業においては、農作業自体が職人の域のそれだ。明日からの作業の効率的な流れを考えると、どうしても今日中に私が段取りをしておかなければならなかった。

先月の半ば、1人の大学生がやってきた。将来、農業で独立してやってみたいので研修を受けさせて欲しい、と。家に1泊させて、夜は鍋で一杯やりながら話を聞いてみた。初めに少し「覚悟のなさ」を感じたので、うちで研修する場合の待遇や概略を少しだけ大げさに言ってみた。最後に彼は「就職も決らない。農業なら自分にも出来るだろうと思って来たが大きな勘違いだった。もう一度考えさせて欲しい。」と言って去っていった。

これまでに訪ねてきた若者で、「農業だったらのんびり生きていけるだろう。」という恐ろしい勘違いをした子は多い。農業ほど忙しく大変で難しい仕事はないのに。しかし反面、こんなに有意義な生き方、人生はないと断言する。こんな楽しい人生を送っていくためには、凄まじい苦労に果敢に挑戦していかなければならない。農業を志した人の中で、実際に食っていける人というのは、さあどうだろう、100人に1人くらいではなかろうか。自給自足でかろうじて食っていけるというのは実に怪しい。仙人並の生活というのは、5年、10年、20年と経つうちに、くたびれて挫折するのがオチだ。私の研修中、失敗した人を訪ねてみよう、と師匠が私を連れて回ってくれたことがあったが、有意義な経験だった。私の自己研修時代の千葉でも、かつての仲間の多くは離農してしまっている。

100人に1人に入るために、私も今を努力している。この数年のうちに農業機械の更新期を立て続けに迎えるだろうが、それを金銭的に乗り越えられれば、この1人のうちに入れたのだと考えたい。挫折していく人の理由は様々だろうが、うちの現状はこのようなことだ。農業機械というのは、目に見えないだけで急速に磨り減っている。それを頭に入れて経営をしていかないと、うちのような規模の露地栽培は成り立たないだろう。

機械を使う回数を極力減らすためにも、実は田畑や作物、土、雑草などの観察が欠かせない。自然界の法則を見破り、無駄をなくす。いい作物を育てつつ、経営もしっかり行う。必要なものは「気力」、「体力」、「直観力」、とある著名な農業者が言っておられるが、生まれつきこれらが全て備わった人間は少なかろう。だから努力をしている。

頭がいい、体力がある、根性もある、自然への洞察力もある、こんな人間に近い若者は、是非農業の道を志して欲しい。頭がいいだけの人は落第だ。諦めて行政や研究機関にでも行くに限る。と、反感を買いそうなことをつい言ってしまった。
by tanboya3 | 2008-11-09 04:10 | 新規就農・起業・研修

生命力に満ちた国

イギリスに行ったことがある。ロンドンの郊外を回る視察ツアーだったが、まず驚いたのが、風景が極めて美しいということだ。なぜ美しいかを考えた。そしたらその理由は簡単だった。この国には自然が乏しいのだ。

まず目を引いたのは、植物の種類の少なさ。林を見ても木の種類が10種類以上見つからない。日本ならどんな大都市でさえすぐに見つけられる。森林率2%(日本は67%)という国土の大半は農地(畑)だ。農地というのは当然ながら森林に比べ植物も生物も乏しい。その間をぬって流れる小川は、水を浄化してくれる森林がないため非常に汚いものだった。

風景が美しいということは、「植生の少なさ」ということと大いに関係がある。砂漠は美しい。海は美しい。草原は美しい。森もジャングルよりはシベリアの単調なカラマツ林の方が数倍美しい。日本はパッと見ただけで数え切れないくらいの植物が目に入る。ゴチャゴチャしていてきれいに見えないのだ。それなのにイギリスのツアーでは、同行者たちが「イギリスは自然が豊かだなあ」なんてノンキに言っているがおかしかった。パッと見の景色がきれいなだけで、自然なんていえるものはロクになかった。

イギリスでは草刈りをしないと聞いた。日本のようにどんどん伸びないから必要がないらしい。空き地も、道路の両側も、どこもかしこも芝生を張ったようにみえた。実に美しい。放っておいてもこの美しさ。

それと違って日本では少し油断すると草だらけになる。空き地など数年で林や森になる。なんという生命力に満ち溢れた国だ。有機農業は草との戦いだが、EU諸国ではそうでもないのだろう。日本の農業を外国と単純に比較したってなんの意味もないが、日本の風景も同じ。日本には日本にあった風景の作り方があるはず。草が生えることに感謝をし、草と共に生きていけばいい。
by tanboya3 | 2008-11-02 04:03 | 主張・提言・考え事

「だんだん」で思う

NHKが島根県の松江を舞台にした連続ドラマ「だんだん」をやっている。私はまだ2回しか見ていないが、その中では松江の風景のシーンは見ることはできなかった。2~3日前、私の母校の高校からの通信で、学校内でロケをやったと紹介してあった。今頃ヒロインは卒業してしまっただろうから(?2回見た限りに基づく推測だが)、母校のシーンはもう放送が終わったのかもしれない。そういえばヒロインの制服は、母校のものに似ていた。というより、母校の生徒という設定だったのかもしれない。

卒業してからの20年間に松江には何度となく行ったが、私は遠く離れたここ桜江出身だから、友人に会うことはない。松江の友人達は時々お互いに会ったりしていることだろう。

高校時代は、イメージとして暗いことが多い。中学、高校と、私は大きなストレスを感じ続けていた。それは対人関係であったり、進路のことであったり、将来のことであったり様々だったが、高校時分は、何というか、薄暗い部屋の中でくよくよと悩んでいた湿っぽい自分というのがピッタリとくる。あまり話をするのも好きではなかったし、上手くもなかった。どぢらかというと孤独が好きで、とても今の私の快活さ(これも表面上のゴマカシかもしれないが)の片鱗はない。

農作業をしていて、稀に近所の中・高生を見かける。私がそんなだったから、つい彼ら彼女らも湿っぽい悩みを抱えているのだろうな、などと連想する。将来自分の子がその年頃になったときに、私は父親としてどのような態度が見せれるだろうかなどと考える。私の親父が今の私の年(38歳)のとき、私は中学1年だったが、仮に今の私に中1の息子がいる状況など考えられない。こんな未熟な身で、子供にどんな背中を見せられるというのか。

私は高校時代に偶然本屋で見つけた、ブルーバックスの「森の生態学」(四出井綱英著)という本と出合って、山や森林に興味を持ち、大学では山の勉強ができる道もあるのだと知り、自分の中に希望を開いた。その後の山との関わりのおかげで今の自分がある。

日本の山(自然、森林)は素晴らしい。畑などはすぐに草が萌え出てくる。なんという生命力に満ちた国だろう。
by tanboya3 | 2008-11-01 04:00 | 生き方

はんだ牛蒡ブログアーカイブ。月1回更新。日々のブログは、http://handa-shizensaibai.jp/          


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