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洪水と共に歩む

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カテゴリ:地域づくり( 13 )

今日は1日の大半を自治会の仕事に。会計報告をメインに書類の作成。
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私が住む「下大貫自治会」は三役が輪番で回ってくる。で昨年度から2年間、私が事務局をやっているのだ。

輪番のルールの厄介なのが、会長は年齢の多い順に回ってくるという妥当なものに対し、事務局は年齢の若い順(!)に回ってくるというもの。何でも若者に自治会の仕組みを学ばせようという趣旨で過去に決められたのだそうだが、仕事や子育てやその他の地域貢献で日々アップアップの我々世代にやらせるかね。ちなみに私はめちゃくちゃ痺れている。集落には定年退職でお暇な人がごまんといるというのに・・。自治会の仕組みなんか住んでいれば自然と学んでいくだろうよ。

今月末で任期終了。もうちょっとの辛抱だが、役員会、総会と、資料作りも含めてまだまだ多くの時間が取られることになる。うう、マジで痺れる・・。

極端な縮小社会であるこのド田舎においては、住民の地域への関わり方は急ぎ変えていくべきと考える。とりあえず、私は「私にしかできないこと」をいくつか抱えており、そちらの方にアイデアを割き役割を果たして行かねばならないだろう。もちろん恰好をつけて言っているのではない。泥臭い立場だからこそ、または職業柄でできることというのはあるのだ。これは責任でもある。人生はそう長くはないのだから。

by tanboya3 | 2018-03-19 05:55 | 地域づくり

保育所で草むら農法

過去最大級の経営危機(笑)への突入も秒読み。サッカーのロスタイムのような感覚。今の「今まで通りの日常」の終わりを告げるホイッスルがいつ鳴るか。
 
そんな時だが、私としてはただ粛々と経営や用事をこなすしかない。思わぬアクシデントに遭ったりお叱りを受けたりと、気持ちが滅入る瞬間も少なくないが、どうせ完璧には振る舞えないのだ、反省するだけ反省しておいて、悩む暇なく、ひたすら目の間の物事に全力を尽くすのみ。
 
その中をぬって、昨日は保育所で一仕事。私が普及を願っていて、ちょうど先月の講演の際にも紹介した「草むら農法」(→の実践だ。これはすでに春先に保育所と打ち合わせていたことで、同じく先月の保護者会による奉仕作業でも、訳を言って法面の一角を草刈りをせずに放置しておいてもらったのだ。雨の前がいいので、昨日の夕方はこの一手。連絡をして行ったので年長組の子らが待っていた。
 
しょうもないことでも「わ~」「すご~い」の連発で、こいつら幸せだなって。草むらのあちこちにいろんな野菜ができて、それを探して摘み取って、そんな記憶が彼らの奥底に宿ってくれたら、などと思うとニンマリしてしまう。まずはそこそこ育つことを祈るのみ。そして費用対効果が実に優れているということを知ってもらいたい。でないと保育所としてリピートできないだろうから。

by tanboya3 | 2017-09-27 12:10 | 地域づくり
田畑に向き合い、家族に向き合うだけで忙しい人生であるが、このド過疎の田舎に住んでいる限り、それで済ませているわけにはいかない。地域から人がいなくなって、地域のインフラの維持ができなくなってしまっては、現実的には、この故郷に人は住むことができなくなるだろう。
 
人が住めなくなったところで、そこに美しい山河が残り、そこを通過する人や、時々経済活動に通う人たちが満足できる風景が広がっているのだとしたら、それでも構やしない。​しかしそうはなり得ない。現代人が立ち入って関わりを持てる程度の自然を維持するには、それ相応の人為の投下が必要である。そのためには、最低限の人は住んでいるという状態を維持しなければならないはずである。
 
一昨日は寝不足で終日体がだるかった。夜中にしょんべんに起きて、また布団にもぐったのだが、当地、つまり江津市桜江町内のいわゆる「川越」という地域の先行きのことを考えているだけで、目が冴えて眠れなくなってしまった。
 
この10年で、1000万円という自由に使えるお金が降ってくるとのことなのだが、果たしてこれが、きちんと「将来の地域運営のシステムづくり」の目的に使われるのであればいいが、もしかすると今を賑やかすだけの対症療法的な目的に使われてしまうのではないかという不安である。実際にそういう計画や報告を聞いてきたし、聞いた時は私もまだピンとこなかったので聞き流してきてしまったが、考えを整理し深めるにしたがって、大きく道を間違える可能性があるんじゃないかと思えるようになっているのである。「あの時の1000万を、なんであんなふうに使ったのかなあ・・」と悔やみながら過去を振り返るときが、いつかあってはいけない。私が生きているだろう20年後の回想ならまだいい。子供らが中心となる40年50年後のこの手の後悔は、もはやどうすることのできるレベルではないはずである。
 
もちろん地域の存続が、このたびの1000万にすべてかかっている、とは言うつもりはない。しかしこれを軽んじている余裕は、我が地域にはないと断言する。
 
関係者の皆さんが骨を折って頑張っておられることはよく知っている。だがここは何度でも見直して、将来に後悔を残さない方法を模索していくべきだ。私にも、組織(川越まちづくり協議会)がどうあるべきか、などの私見もあるし、現実に私が役に立てそうなことというのも、理屈の上ではなにかとありそうだ。しかし日々の営みがある以上、現実には限られてくる。限られてくるが、無理をしてでも頑張らんとならんなと思っているところ。
 
生業の農業に絡めて言っても、この川越地区あっての、このゴボウだ。このゴボウがこの世から消滅することは、あまりにも社会的損失であると、私は今、胸を張って言う。地域の消滅とは、もっと高いレベルでの悲哀だということは分かっていて、それはもちろんのこと、唯一の生産者である私の立場としてはそういうゴボウを守るという意味でも、ぜひやらなければならないことである。

by tanboya3 | 2017-03-27 02:46 | 地域づくり
昨日は、「しまコトアカデミー」御一行が来社。バスガイドも兼ねて畑を案内し、いつものように勝手に楽しんで、わずか1時間ちょっとだったが大変楽しいひと時だった。
 
時間さえあれば、もっともっとお節介で伝えたいことがあるのだけれど、アドバイス的なことは一切封印し、ここに至った経緯と今の楽しさを伝えることに絞った。
 
言い足りなかったことで一つだけ言うとすれば、「当地並みの田舎では、日々真面目に努力さえしていれば、誰でもそこそこ幸福感を持って生きて行ける。」ということ。「幸福感」というのは深いということと、「ド田舎では」というのがミソ。また上手くやるというのは人によって場面によってできない場合があるが、「日々真面目に努力」というのは誰にでもできるのがいい。
 
人によって言い換えれば、最低ラインは確保できるので次のステップに挑戦しやすい、ということにもなる。また私のように常に戦う対象がないと落ち着かない(笑)タイプの人は言うまでもない。だから創造欲に満ちた人にとっても、そうでない人にとっても、実に「生きやすい」というのが私のド田舎評だ。
 
まあ、農業への挑戦となるとハードルは高いと言わざる得ない。農業の魅力は分かる人には分かる的の最たるものだし、このアカデミーのような経緯を踏むことが農業の実践自体にマイナスに働き兼ねないという矛盾がそもそもある。このあたりを自らがどう俯瞰するか。まあ、うちのすぐ側でやるというなら世話が焼けるから何とかなるけどね(笑)。
 
この手で活発なここ最近の島根県を眺めていると、ド過疎地域の農業担い手問題は益々苦境に立ちそうな予感がしている。しかしきっと地域の自己治癒能力が発揮されて、ギリギリで収まるところに収まるはずだと考えている。そのためには、地域を土に例えるなら、土の中の不自然なものを取り除く必要が、まずある。ここ最近は、そんな視点で暮らしている。

by tanboya3 | 2016-10-10 06:05 | 地域づくり
一昨日はわが町で行われた「地方創生シンポジウム」に参加。片山善博氏の基調講演のあと、博報堂の深谷氏が司会で、ソトコト編集長、2人の地元活動家、市のキーパーソンの4名によるディスカッション。
 
とても楽しみに参加したが、期待に違わず実りある内容だった。片山氏の講演は、正直初めはそれほど期待していなかったし、実際に途中までは、??という雰囲気。しかしやっぱりそれなりの人だ。上手~く論調が組み立てられていて、派手さはないが、何か染み入るように合点がいった。資料無し、映像無し、ボード無しのしゃべり倒しのスタイルで、久しぶりにストレス無しで終始聞き続けられたなあと感心。いろんな意味で勉強になった。もう、これぞ、「ザ・基調講演」って感じ。
 
そして何より私にとっては驚くべきことがあって、氏の話を聞くうちに、私が模索している自然栽培と地域づくりの関わりについてモヤモヤしていたことが、初めてくっきりと輪郭を表したのだ。この場でこの人からか~って。どこで何が得られるかわからんね。だから日々は楽しいんだ。
 
その後のディスカッションも大いに満足。私がこの地で農業をすることでこの地に貢献できることや、その貢献の仕方、その手法など、多くのヒントが得られた。地域内でもっと自然栽培のゴボウが食えるようにすることが私のまずの使命と思っているが、その重要性を改めて確認。実は実務的な理由で乗り上げている。何とかしたい。
 
そしてチャレンジに特化したアピール方針もよく分った。江津市の挑戦だね。有り、だと思う。
 
満ち足りた思いでシンポジウムを終え、とにかく残念だったのが、その後お誘いを受けていた懇親会を体調不良でお断りせざる得なかったこと!いや~情けなや~、濃いメンバーだし、よっぽど楽しみにしてたんだけどね~。かなり迷ったけど、頭痛もひどかったしさすがにまずいかなって。おかげで今はかなりよくなったけど、これを書く今だに、残念、無念・・・!


by tanboya3 | 2016-10-04 06:02 | 地域づくり

水源の清掃

今日は作業は休みに。その代わりに朝一番は山水の水源掃除に。
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枯れ葉や土砂を取り、蓋にしている石をどけ、水だまりの土砂を取り、石でまた蓋をする。
 
1週間後に集落の人たちでやる定例清掃が控えているので、何も今日私が上がる必要はないのだが、今流行りのバイオマス発電のために水源近くの木が切られてからは水源に土砂が流れ込むようになってしまって、毎度の掃除に時間がかかるようになった。みなさんは飲用に山水を使ってはおられないから、ボチボチやったことにして早く終わりたがるのだ。うちは飲用にもこれを使っているので、なるべくきれいにしたい。というわけで、責任者らしいものに祭り上げられたことでもあるし、前もって荒ましやっておこうと。
 
我が家は4年前に古民家を購入したものだが、繋いであった上水道を切って、かつてからの山水につなぎかえてもらった。井戸もあるが、晴れが続くと使えなくなるので、この山水が我が家の生命線ということになる。雨が降るといくらか濁るし、見た目にきれいでも獣の小便などが入っていることは間違いない。だから集落の人だって、すでに上水道の消毒された水に慣れてしまった近頃では、うちが飲用にも使っているというとビックリされる。上水道ができるほんの「最近」までこれが当たり前だったのに!何という変化の早さ!
 
山水のシステムが残っている集落は少なくなりつつある。残っているところでもほとんどが上水道との併用で、うちの集落のように飲用とお風呂などを区別して使うことがほとんど。
 
そして当然のように山水は「維持」の手間が強いられる。水源や中間タンクの定期的な清掃、大雨の後の管理、断水の復旧、すべてが集落の人の手によって行われる。そして維持費もみんなで賄う。
 
それでも山水を残したいと思うのは、ほとんどの人が水道料金よりはるかに安いからという理由(年2000円で使いたい放題)。しかしうちは違う。消毒された水をなるべく飲みたくないのだ。そういう積極的な理由があるから、こういう普請だってまったく苦にならない。
 
苦にならないもう一つの理由があって、実はこういう普請が好きなのだ。手ごろな工作感覚。だから、「反田さんは偉いな」とか「やってもらってばかりですみません」などと言われるが、それは当たらない。飲みたい水を飲むために、水源の掃除をして遊ぶ。かなり贅沢。ま、仕事が押しているときは必ずしもそういうわけじゃないんだけどね(笑)。

by tanboya3 | 2016-08-20 03:44 | 地域づくり

我が集落の最先端

一昨日の日曜は家族で水遊びをしたとのん気に書いたが、早朝からは集落の草刈りに参加していて、相当へばっていた。普通はこういうのは長くても2時間までのもの。しかしこの度はこのクソ暑さの中を4時間半もかかる羽目に。年配の方が一人倒れるし、他の人も多くが途中でぐったり。中には怒り出す人も。補助金が絡んでいるので、何とか最後までやらねばならず、元気な者だけでも頑張ろう、と最後には悲壮感すら漂う始末。
 
もっとも私はこの程度の過酷さには慣れているのと、今回皆さんに披露しておいたが最近手放せないクールコンプレッションの効果があるため、最後まで元気。とにかく2人分くらいはやらんと、と思ってかなり頑張った。
 
この度は草が大きかったせいと、暑かったこと、そして参加人数が少なかったためにこうなったと思われる。この参加人数が少ないということについては、この集落の良さにも若干関わっていると思われ、行事等は欠席してもペナルティがないということがある。つまり簡単に言うと「対象は広く、欠席は自由」ということ。都会の人にはピンと来ないだろうが、欠席者に対して具体的なペナルティや暗黙の圧力があったりする地域は結構多いのだ。そうでもしないと「行事」が維持できないし、行事がなければ集落は衰退するという考え方に基づいている。
 
しかし我が集落は、「出れる人だけでやればいい、出れない人が増えたときはその時に考えよう。」という雰囲気で、ペナルティ的な考え方がない。私もここに引っ越して初めは分からなかったが、どうやら皆で申し合わせたわけではなく、多くの人がなんとなくそういう考え方を共有しているようなのである。決して若者が多いわけでもなく、数年後の惨状は目に見えているのに、である。
 
これは過疎の地域の、ある意味最先端の有り方ではないかと私は思うようになっている。どうやってこういう雰囲気が育まれたのかも興味があるところ。
 
草刈りに話を戻すと、来年以降はこの草刈りをやめようかという意見も出かねないと思っている。しかしこれについては私にも案があるのでそれを提案するつもり。この「最先端」のあり方だけは変えることなく草刈りを継続していきたいものである。

by tanboya3 | 2016-08-09 05:12 | 地域づくり

保育所での研修会

そういえばこのネタに触れていないかった。先週、下の子がお世話になっている保育所の職員研修会の講師を務めてきた。
 
自然栽培農家として、巷にあふれる農や食への誤解を解くという趣旨で話してみた。内容的には絶対面白いという自信はあったが、これが思った以上の反響。質疑の盛り上がりも想定外。「あっというまの1時間だった。」とも。子どもを預かる現場の人たちってこうなのか。こういう保育所に息子を預けているということが嬉しくなった。
 
ちにみにここは民間の保育所。経営サイドの部長さんと交わしたわずかな会話や、先生方の明るい一体感からも様々に想像を巡らしてみる。
 
第2弾もお願いしたい、と言われている。いくらでも骨を折るつもり。理屈を押し付けるだけでなく、何とか1歩でも2歩でも前へ進むように力になりたい。
 
帰り際にある先生に、「祐土くんと同じにおいがする。」と言われておかしい。ひとっ風呂浴びる時間がなかったので汗臭かったかなと。翌日「祐土くんのにおいが"おひさま"のにおいだと気が付いた」とお便りに。ずいぶんしゃれている。女房いわく、「洗濯で化学洗剤使ってないし、いくらか汗臭いかも。」
 
勝手に意訳し、汗のにおいは「おひさま」のにおい、だ。我が子と同じにおいと言われて上機嫌の父親である。

by tanboya3 | 2016-05-22 02:46 | 地域づくり
昨日書いたようなことは、こういう時代にあっては本当はもっともっと当事者間で議論するべきことだと思っています。しかし何事においても、「これまで通りではダメ」と言うと、「良さもある」という反論をする人が必ずいて、穏便に物事を収めようとする田舎の雰囲気の中にあっては、結局今までと何も変わらないということになる場合が多そうです。
 
悪い意味で「真面目な人」が多いんです。ちょうどそのあたりのことが書かれている記事があります。
 
『地方は「真地面な人」によってつぶされる』
 
これを読んだ当時、ああ、ホンッとそうそう、って。
 
まあこんなところで吠えたって意味ないです。半歩ずつ、ジリジリと行きましょう。
 
※2回目草取りマラソン進捗率:96%
※3回目草取りマラソン進捗率:83%

by tanboya3 | 2016-04-05 03:50 | 地域づくり

「若者は待ったなし」

雨や風や鳥のタイミングに振り回されつつも、昨日無時に苗箱下しは終了しました。
 
今日はちょうどいい雨模様。苗箱の灌水になるということはもちろん、溜まり過ぎたデスクワークを片付ける貴重な時間に。新しいスタッフへの諸対応も。
 
デスクワークは仕事上のこともありますが、この度は仕事以外の地域活動についてのことが何だかんだとあります。私は今月で46歳になりますが、まさに元気な中堅どころってことなんでしょうね、業界や地域ではちょうど役どきです。で普通はこの歳になると子供が大きくなっていますが、うちは子供がまだまだ小さいので保育所や小学校のPTA活動も入ってきます。そういうことでカレンダーはかなり塗りつぶされるわけです。私の仕事はタイミングに振り回されてばかりの、かつ肉体労働。体を休めたく家でゴロゴロしたい日もありますし、子供との時間も持たなくてはなりません。これらを全てこなすというのは現実には不可能です。
 
なので選択と判断が必要です。仕事のロスをいくらか飲み込み(売り上げ減や今後に残す禍根をいくらかは許容し)つつ、業界や地域活動には軽重をつける。こんなことで乗り切っていこうと考えています。
 
軽重をどういふうにするかというのは、私が必要な(他の人が代れない)ことには力を入れる、私でなくてもいい(他の人が代れる)ことは少し手を抜くかまったく関わらないようにしようかと。それでいいのかという面もありますが、現実に回らないのであれば仕方がありません。
 
人口減少社会の中のこのド過疎の地域においては、地域活動団体のあり方について私なりに強烈に考えることがあります。これまで通りにやっていては茹でガエル、いつかどうにもならなくなる時が来るだろうというのがその柱です。本当はこういう地域に必要なことは、既存の消化型の取り組みではなく、好きな者が集まって創造的に行う取り組みだと思っています。地元コミュニティで取り組もうとしている自然栽培の普及などはこの後者の典型です。でも行事消化ばかりを強制する雰囲気は、そういう後者の活動を物理的にも発想的にも妨げてしまいます。
 
そんな思いを抱きつつも、今の私がただ吠えただけでは何かが大きく変わるわけではありません。まずは懐に入らないといけない。
 
正直心身ともに痺れることは多いです。しかし先日愚痴る私に向かって床屋の若いマスターが言いました。「でもね、若者は待ったなしですよ。」これがまた、妙に響いちゃったんですね。私もまだ若者だと信じて、それ以降、「言い訳無用、待ったなし!」と自分に言い聞かせてやってます。意図せず私が一皮むけるかも知れないし。
 
※2回目草取りマラソン進捗率:96%
※3回目草取りマラソン進捗率:70%

by tanboya3 | 2016-04-04 03:49 | 地域づくり

はんだ牛蒡ブログアーカイブ。月1回更新。日々のブログは、http://handa-shizensaibai.jp/          


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