塩田信之さんのこと
(写真は無断転用)
「桜江の文化人」という本がある。我が江津市桜江町の多くの家庭に1冊ずつあることだろう。そこに取り上げられる5人のうちの1人が塩田信之さん。父の卓爾(たくじ)氏との親子鷹でバイオリンを極められ、オランダの管弦楽団の首席奏者として活躍された方だ。
その信之さんに光を当てようと、隣町の川本町の地域おこし協力隊の方が我が家に初めて見えられたのは3年前。昨日、それ以来の来訪を受けた。目的は信之さんにまつわる遺品の確認。我が家は9年前に買った古民家なのだが、ここは信之さんの生家なのである。
私は8~12歳の5年間、ここに通って卓爾先生にバイオリンを習っていた。その時に1度オランダから帰国されていた信之さんとお会いしたことがある。当時は子供だから何も分からなかったけれど、この「桜江の文化人」の本を読むことで、卓爾先生と信之さんの壮絶な歩み、それが・・あどけない子供らの賑やかな声が毎日響き渡る・・まさにこの家で繰り広げられていたことを改めて伺い知り、この柱にも梁にも当時の過酷なレッスンの音色がしみ込んでいると感慨にふけるのである。
改めて家の中を整理してみたところ、最後までこの家に住まわれていた卓爾先生の生前を忍ばせるものはそれなりにあるし、もっと古く、大正、明治にまで遡る物品も残されている中で、残念ながら信之さんの痕跡は何一つ見つからなかった。オランダから戻るたびに自分のものを持ち出しておられたらしいとも聞いた。
隣りの川本町はずいぶん前から「音楽の町」を標榜されてきたが、源流は卓爾先生の存在だったらしい。地域おこし協力隊の人は、その川本町で年に1度、亡き信之さんを偲んだコンサートなどができないかと考えておられるとのこと。その生家に住む者として何の役にも立てそうにないが、塩田先生親子に光が当たることを切に願っている。
ただ信之さんが亡くなられて年月が経つので、オランダにまで出向かれる中でもなかなか生前を偲ぶことのできる資料が揃わないのだらしい。私の父が、信之さんは1つ年上だと言っていたから、生きておられれば今77歳。第一線で活躍されていたかの地で、今の私とほぼ変わらない49歳という若さで亡くなられたのである。