とまで言い切るほど薬の信奉者だった。母の実家は薬屋である。
薬を飲むこと自体を悪いこととは思わない。ただ、飲んだ場合のリスクをしっかり理解した上で飲むべきという前提がある。前回書いた、気軽に風邪薬を飲ませて重症に陥るリスクというのがある。そして見落としがちなのが、障害が残るほどの重症にはならなかったとしても、もしかすると軽度の障害を招いた原因になっているかも知れないこと。例えば発達障害なんてのも、どこかで気軽に飲ませた薬に原因がないと誰が言い切れるのか。
というリスクの話を、医療業界の事情と合わせてすれば分かってもらえそうなものだが、実際はそうではない。こんな簡単な理屈がなぜわからないのか、と思わないこともないが、冷静に考えれば不思議なことではない。私の場合は、薬を飲む場合と飲まない場合とを比べて、飲む方がリスクが明らかに高いと考えているわけだが、飲まない方がリスクが高いと考える人だっているのだ。ならば通じないのは自然である。
しかし中には私と同様のリスクスタンスでありながらも薬に頼ろうとする人もいる。この原因についてずっと考えてきたが、もう様々だという意外にない。観念世界と現実世界との乖離や、心の三毒たる貪瞋痴(とんじんち)ゆえんの場合もありそう。人とは話せば分かる存在ではない。養老猛の「バカの壁」。
自然界は複雑にして緻密、そして完璧である。人に備わる自己治癒力と重症化を防ぐ仕組み。分かり合えても合えなくても、このことだけは伝えていきたいと決意を新たにしているこの冬である。母のことはもちろんあるが、それ以前に私は一端の自然栽培農家なのだから。