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洪水と共に歩む

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母が亡くなって

もうずいぶんと更新していない。お袋を突如として失った喪失感があまりにも大きすぎて、何も書く気が起きないでいた。ご心配も少々いただいているが、業務は何事もなかったかのように進んでいる。特に出荷は待ったなしで、亡くなった日だろうが葬儀の日だろうが関係なし。火葬の最中だって抜け出してお米の大口出荷の準備をしたりしたものだ。田畑だってタイミングは待ってくれなくて、11月内完成が至上命令のトンネル設置も、2日遅れだが今日にはすっかり終わりそうだし、草取りマラソンもスタートしている。

長年この会社を切り盛りしてきたお袋だ。私がガッカリして仕事を疎かにすることなど、1ミリたりとも思っていないはず。親父も同じことを言ってくれる。それが後押しになって日々踏ん張っているところだ。

本当はまだ何も書く気が起きない。しかしお袋はいつもこのブログを見てくれていたので、そろそろ更新しないと人が心配するんじゃないか、などとあの世で思っているかもしれない。そんな理由と、それからこうやってグダグダ書いているうちにいつものように気が紛れるんじゃないかという期待を込めて、書き始めてみたところだ

お袋は、兄弟姉妹らと再会の九州旅行から戻った翌日13日の深夜に、自宅の風呂で死んでしまった。死因は溺水というから、眠って水を吸ってしまったものと思われる。親父が見つけたのが午前3時前だったから、風呂で死んでいるという一報をもらった瞬間に、普通に考えてもうダメだと思った。私もわずか車で7~8分の距離をすぐに駆け付けたが、やはりどうにもならなかった。苦しんだ様子もなく、眠っているようだったというから、それがせめてもの救いである。

『新しい 家族となりし 孫を抱く』

数日前に届いた公民館報に、川越川柳会の川柳が何事もなかったように掲載されていた。いわば辞世の句か。7人目の孫が生まれて喜んでいた矢先だったのに。24~25日には再び九州へ赴いて今度は同窓会(高校山岳部のキャプテンだった)に参加するのを楽しみにしていたのに。26日にはお袋の大好きなうちの長男の学習発表会をいることを楽しみにしていたのに。・・・すべては一瞬にして叶わないものとなった。

これまでに、もう何度泣いたかわからない。日頃からすぐもらい泣きをしてしまう私だから、この度はたまったものじゃない。特に車の運転中が辛い。そろそろ3週間が経とうとしているが、辛さは一向に減る気配がない。人類はこれまでに何億人、何兆人という人が亡くなってきたか知らないが、死別とはそういう星の数ほどの多くの人が経験してきたことなのだということは百も承知で、そして世の中にはもっと悲惨で凄惨な死別というものもあるということも千も承知で、だからうちの場合はマシなほうだと言い聞かせてみても、どうにもならないでいる。

この3週間近くでいろんな思いが交錯してきて、私の悲しさは、一般に多いのだという「自責の念」なのだと自分で分かってきた。この度のことは、私に防げた可能性がある。お袋が日中に車の前輪をどこかにぶつけてパンクさせて、そしてそれがわずか1週間前にもあったらしく、だから親父が「もう車に乗せない」と言っていたことを知っていたから、「これは落ち込んでるだろうな、顔を出して励ましてやりたいな」とその日は思っていたのである。しかしこの日は作業がタイトでくたびれていたし、つい会いに行かずじまい。もし会って話をしていたなら、「持病や薬で眠くなるなら風呂をよっぽど気を付けなければいけない」という会話になったかもしれない。その些細な会話で防げた可能性はあるだろう。

そして後で振り返るに、せめて電話はできなかったのか。哀しいかな、そういう発想の出ない親不孝者であった。ここでも同じように風呂には気を付けろという会話になったかもしれない。兵庫から駆け付けた私の妹などを見ていると、「俺が女だったら電話をしたんじゃないか」などと思う。ああ、今度生まれ変わるときは女に生まれたい・・。

お袋にとって私は、自慢の息子であったらしい。時折誇らしいそぶりを見せてくれたものだ。しかし、その自慢の息子が何をやった。死を防ぐこともできなかった。持病で悩んでいるお袋の愚痴にも付き合ってやれなかった。孫と過ごしたがっていたのに、そうしょっちゅうは連れて行ってやれなかった。そう責めるな、親孝行にもいろいろな形があるのだ、ということは分からないわけではないが、私は今の自分の存在があまりに虚しくてならない。

振り返って、お袋にはずいぶんと心配をかけてきた。田舎にしては教育熱心で、子供の頃から成績が良かった私は、次男でもあったので、商売で苦労をしていたお袋は国家公務員あたりになることを期待していたようだ。ところが私のゴンゾウに当てが外れて、危険な山には行くし、就職活動はしないし、さらには結婚と離婚を繰り返し、よっぽど心配したらしい。しかし私の思いを組んでくれて、人生最大の博打である農業参入には全力で協力してくれた。「心配するな、思いっきりやれ、私がしっかり会社を見とくから」と経理の手綱をしっかりと握ってくれていた。

佐賀県から21歳でこの地に嫁ぎ、以来ずっと、前身である「(有)反田組」を経理面から支えてきた。借金だらけの会社を親父と共に引き継ぎ、会社の再建に人生をかけてきた自負があると、以前誇らしげに語っていた。

土木を廃業し、農業一本でやることになって、私が代表になるときにはお袋との間で一悶着があった。それもこれも当時は赤字続きで未来の見えにくい経営だったから起きたことで、かつてお袋たちが再建したように必ず私らも軌道に乗せるからと、そしていつの日か息子たちにいい状態で渡すからと力説して諸事を納得してもらった。ちなみに会社名変更に際し今の「(有)はんだ」にしたのは、「はんだ」という音を残してほしいとお袋が希望した経緯がある。

死んだあと、魂はどうなるのだろうか。本当に「あの世」というのがあって、意識は存在しているのだろうか。それとも眠っているような状態なのだろうか。そんなことも、もうずいぶんと考えた。そしてあの世があればあったで、なければないで、そのどちらでも辛くなる。そしてもう2度と会えないという事実。どうもまだここがピンとこない。「いや~ごめんなあ。油断したわ~。まさかあそこで寝て死ぬたあ思わんかったな。悪かったな~。」などと悔やみながらひょっこり現れるんじゃないかと思えるのだ。

しかしながら、そろそろ死を受け入れないとならない。そのお袋がきっとこう言っている。「孝之や。お父さんを頼むけえな。」

さあ、自慢の息子よ、しっかりするのだ。

by tanboya3 | 2017-12-02 06:10 | その他

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