2017年 07月 13日
男人生の愉快さ
今週に入ってから、下の子が発熱している。おお、良かったな、と本人には向かって言えるが、保育所へ預けられない私ら夫婦にとっては、繁忙期真っ只中につき、かなり大変なことである。
子守のメインは女房だが、女房の方が早い作業では交代で私が家に戻る。そうやってヤリクリをするんだけど、真冬ならともかく、この時期それで捌けるはずもなく、やはり作業が溜まってくる。これはこれで仕方がないし、とても幸福なことではあるから悔やむことではなくて、問題は、作業や経営にはそれぞれタイミングがあるんだから、何を捨てて何を拾うかの判断が上手くできるかどうか、そしてそろそろ一介の農業者に成れていると思いたい自分にとってその判断の完成度がどうか、などということを気にしてしまう。仕事も遊びも子育ても、あらゆることに線引きが出来ない今の生き方にあっては必然のことなのだろう。
そんな中で意外と困るのは、発熱している「ご本人様」が常に元気で、その相手をしてる間にこちらが参ってしまうということである。これは身体を休めろという天の声だな、などと余裕をかましていられるのは初めのうちだけで、次第にこれは作業をしている方が楽だ、早く開放されたい、ということになってくる。男は本質的に子の面倒に向いていないということも、子ども好きの私は認めないわけではないが、それを差し引いても、日頃子どもの相手に多くの時間を割いている女(女房)の凄さを思う。
私の口癖のようになっているが、今のような自然農業をしながら、子どもに恵まれる今の人生にあっては、男という存在の、くだらなさとまではいかなくても、虚しさというか、惨めさ(とまでは言ってみるか)というものを感じずにはいられない。本当に、男というのは、チソコを立てるか、チャンバラをするしか能がない。それは人間として大切なことであるが、日々大切なことではない。そういうポジションにいて、男としてどう生きるか。そんな視点を持ってみて、また人生が愉快になった。
我が家には、再生産された男どもが2人いるが、彼らを人間にしていくと同時に、彼らに男の虚しさというものを、さあ、いかに伝えていこうか(笑)。そして、そうだな、女の子にも恵まれてみたいか。生まれながらにして人間だという存在も、ぜひ実体験してみたい。それで私の男人生はさらに愉快さを増すんじゃないだろうか。
by tanboya3
| 2017-07-13 08:58
| 生き方