2013年 01月 17日
ゴボウは連作が嫌いか
昨日の最後に書いたが、ゴボウを連作に近づけることが、田津地区を活かす早道であると考えている。しかし厄介なことにどんな技術本を開いてみても、ゴボウというものは次の作付までの間を5~6年くらい空け(輪作という)なければ育たない、と書いてある。そのため世間ではピクリンという猛毒を土に注入して連作をしているところも多い。うちは当然そういうことをやらないわけで、じゃあ輪作はどんな感じなのかといえば、それは圃場によって違って、今のところ1年おきでうまく行っているところもあれば、5年空けてもダメなところもある。
私のわずか9年の経験では、肥料を多く投入してきた圃場ほど間隔を空けねばならない。逆にこれまであまり肥料を入れなかった圃場、または入れていても砂地のおかげで早く抜けていってくれたと思われる圃場では、間隔が短くてすんでいる。ゴボウに限らず野菜は一般に連作ができないと信じられているが、それは肥料を入れているせいだという見解があるが、私は実感を持って賛成することができる。
だからゴボウだって自然栽培を進めていれば、きっと連作が可能になるだろうと思っている。そしてこういうことは全国の事例を見るのが一番いいのだが、聞いた限りではゴボウについては皆さん苦戦していて、これだといういい事例がないらしいのである。そこが不安な要素ではあるが、ゴボウを観察していると、種はそのまま足元に落ちて、すぐに発芽してくる。もし連作が向かない植物であるのなら、少し離れたところに落ちる構造になっているか、足元に落ちたとしても次の年まで発芽しないなどの性質があるはずだというところに、根拠を求めているのである。
しかし先日女房がふと、「自然のゴボウは足元に種が落ちないんじゃないのか?」などと言い始めた。何を今さら訳の分からんことを言いよって、と思いつつ聞き返すと、「花房が服に引っ付くから、動物によって運ばれることを期待しているんじゃないか。」と言う。
おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! 確かにそうだった!!種採りの作業をするとき、ゴボウの花房はうっかりすると髪の毛にでも何にでも絡み付きゃあがって始末に負えない。なんという盲点、盲信。ということはゴボウはやっぱり連作を期待していない可能性がある。もっとも単に子孫を拡散したいがための性質かもしれんから、がっかりするのは早いけど。
しかしながら、根拠が少し揺らいで憂鬱になってしまった。しんどいの~。
私のわずか9年の経験では、肥料を多く投入してきた圃場ほど間隔を空けねばならない。逆にこれまであまり肥料を入れなかった圃場、または入れていても砂地のおかげで早く抜けていってくれたと思われる圃場では、間隔が短くてすんでいる。ゴボウに限らず野菜は一般に連作ができないと信じられているが、それは肥料を入れているせいだという見解があるが、私は実感を持って賛成することができる。
だからゴボウだって自然栽培を進めていれば、きっと連作が可能になるだろうと思っている。そしてこういうことは全国の事例を見るのが一番いいのだが、聞いた限りではゴボウについては皆さん苦戦していて、これだといういい事例がないらしいのである。そこが不安な要素ではあるが、ゴボウを観察していると、種はそのまま足元に落ちて、すぐに発芽してくる。もし連作が向かない植物であるのなら、少し離れたところに落ちる構造になっているか、足元に落ちたとしても次の年まで発芽しないなどの性質があるはずだというところに、根拠を求めているのである。
しかし先日女房がふと、「自然のゴボウは足元に種が落ちないんじゃないのか?」などと言い始めた。何を今さら訳の分からんことを言いよって、と思いつつ聞き返すと、「花房が服に引っ付くから、動物によって運ばれることを期待しているんじゃないか。」と言う。
おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! 確かにそうだった!!種採りの作業をするとき、ゴボウの花房はうっかりすると髪の毛にでも何にでも絡み付きゃあがって始末に負えない。なんという盲点、盲信。ということはゴボウはやっぱり連作を期待していない可能性がある。もっとも単に子孫を拡散したいがための性質かもしれんから、がっかりするのは早いけど。
しかしながら、根拠が少し揺らいで憂鬱になってしまった。しんどいの~。
by tanboya3
| 2013-01-17 10:03
| 作業・農法・技術(ゴボウ)