ニンジン、粘るべし
じゃあ諦めよう、例えば発芽率の良いF1品種にするとか、そうすれば劇的に悩みは減る。だがどうも踏み切れない。「本末転倒にならんように」といつも戒めるものの、考えているとそもそも何が「本」で何が「末」かが分からなくなるからどうしようもない。
悩みの中で日曜日は午前中に2時間ニンジンの間引きをした。やっぱり現場だ。糸口は現場に在るという当たり前のこと。とりあえずいくらかの改善策と来年の方針はたった。結論を出すのはもう少し待とう。ようするにまだまだ私の管理が未熟なのだ。これまでの経験から、一見ダメと思えた作型がむしろ柱になりえるということがある。それは自分が変わるし、土が変わるし、種が変わるということがあるからだ。
今、ひらめいた感覚ですらすらと書いてみたが、何だ、やっぱり、「自分、土、種」じゃあないか。結局これか。とっつきやすいのがまずは「自分」。今一度自分の引き出しを全部出し切って取り組んでみよう。それでもダメなら、さらにその5年後くらいに諦めればいい。
と同じ理屈なのが、春蒔きのゴボウ。そろそろ収穫。どうせボロボロ。これにもうずっと耐えている。でもまだ諦めぬ。こちらは「土」と「種」に期待している。「自分」には見切りをつけたが、他力本願で粘る。もっともこの他力も自分の管理の上に成り立つもの。結局、お前、しっかりせい、ということか。