2009年 03月 31日
大きな節目
今日は年度の最後の日。私のような百姓には全く関係ないが、世間では今日が区切りという人は多いだろう。
今日もご挨拶に来られた人、こちらから電話をした人もいる。「すごく楽しませてもらいました」と言われたりするが、まさにこちらもその通りだ。命を懸けて今の農業をしているが、真剣な中にも「笑い」あり、実に楽しいお付き合いが多い。今後も勝手に楽しみながら多くの人に図々しくお世話になりたいものだ。
異動や定年で賑やかな世間だが、そのようなものがない今の自分の境遇をつくづく幸せと思う。いわゆる「就職」だって、年度の区切りで就職したことはない。大学卒業直後の4月1日などは、雪の北八ヶ岳を単独で彷徨していた。ある岩の上に腰掛け西方の眺めを堪能している時、ふとその日が4月1日だったことを思い出し、ついこの前まで共にいた学友たちを思い、「今頃新入社員として新しい人生に望んでいるのだな」などと、少し寂しさを感じたことだった。“そのうちに”という約束でバイト先への就職を決め、そのときは外国登山の訓練のつもりで山へ来たのであったが、今思い出しても私は変わった若者であったかもしれない。
とかなんとか書いているが、実は今日は、うちにとって、特に両親にとっては大変大変大きな区切りの日であった。祖父の代から長年営んできた土木をやめるのだ。近くでも今日限りで消える火がある。時代は確実に流れている。この過疎の地の我が故郷ははこれからどうなっていくのだろうか。私に出来ることは何か。ウケのいい話や一時の流行に流されることなく、私は私の身の丈で、出来ることからやっていきたい。
今日もご挨拶に来られた人、こちらから電話をした人もいる。「すごく楽しませてもらいました」と言われたりするが、まさにこちらもその通りだ。命を懸けて今の農業をしているが、真剣な中にも「笑い」あり、実に楽しいお付き合いが多い。今後も勝手に楽しみながら多くの人に図々しくお世話になりたいものだ。
異動や定年で賑やかな世間だが、そのようなものがない今の自分の境遇をつくづく幸せと思う。いわゆる「就職」だって、年度の区切りで就職したことはない。大学卒業直後の4月1日などは、雪の北八ヶ岳を単独で彷徨していた。ある岩の上に腰掛け西方の眺めを堪能している時、ふとその日が4月1日だったことを思い出し、ついこの前まで共にいた学友たちを思い、「今頃新入社員として新しい人生に望んでいるのだな」などと、少し寂しさを感じたことだった。“そのうちに”という約束でバイト先への就職を決め、そのときは外国登山の訓練のつもりで山へ来たのであったが、今思い出しても私は変わった若者であったかもしれない。
とかなんとか書いているが、実は今日は、うちにとって、特に両親にとっては大変大変大きな区切りの日であった。祖父の代から長年営んできた土木をやめるのだ。近くでも今日限りで消える火がある。時代は確実に流れている。この過疎の地の我が故郷ははこれからどうなっていくのだろうか。私に出来ることは何か。ウケのいい話や一時の流行に流されることなく、私は私の身の丈で、出来ることからやっていきたい。
by tanboya3
| 2009-03-31 14:13
| 思い出