今頃どんどん蒔いているはずだった
洪水との共存、第二ステージ。もはや洪水は毎年来るのだというつもりで改めて作型を作り直そうとしてやっている。
ともあれゴボウの早期収穫。できれば今月中旬から。そのためには大豆の早期播種。そのためには田植えの早期化。そんなつもりで、それぞれの作付け面積を可能な限り維持したまま春からひたすらに進めてきた。田植えの早期化は実現したので、大豆播種が今月に入ってすぐにでもできれば何とか目標達成だった。そしてその期待は少し前までは大いにあった。
しかしすでに今日、6月7日。理想では播種が半分~すべて終わっている頃。しかしまだ播種を開始できていない。昨日から降り続く雨で、畑がどう乾いてくれるか次第だが、明日からは何としても始めたい。なんだ、一昨年は6月6日に、5年前は6月9日に播種を始めてるよ、全然大したことないじゃないか・・。
どうしてこうなったのか。年は天候に恵まれたにも関わらずこれである。しかも体を相当壊し、これから歳を重ねていくというのに明らかに持続可能ではない。今年は死んだふりを続けて何とか進めるとして、来年以降をどうするか。まさに直面している今こそがそれを考える時だ。
今までは、手間を省いた上に強度を上げるとか、面積を増やした上に省力化するとか、一見して相反する命題を同時に実現することにこだわってやってきた。それこそが痛快経営だと。そして多くを実現させてきた。しかしその成功体験は今の私には意味をなさない。洪水事情はあまりにも大きい。大豆播種を早める手段は、もはや「作付けの縮小」しかないであろう。
もっとも作付けの縮小とは、面積を減らすばかりではない。面積は維持し、地区を減らすという手もある。具体的には「田津」と「渡」の大豆をやめる。となると渡は撤退である。もちろん農地の絡みは何事も今すぐというわけにはいきにくい。代替地を求めるのも慎重にせざる得ない。今年から試みている経営の縮小実験には、この辺りの事情も入れていく。
ところで経営を縮小するというと、多くの人に残念がられる。ありがたいことだ。一方で「なぜ?」と言われることも少なくない。当地に住んでいる人からもよっぽど言われるので辟易する。洪水だというと、洪水はそんなに大変か、と。あんた目の前でこの大洪水を見てわからんかね。
それだけ当地の人は洪水に対する感覚が麻痺している。かくいう私もその一人か。まだ共存とか言ってるいるし。
春には珍しい干ばつ
この春のこの雨の降らなさったらどうだ。私の記憶(記録)だと、最後のまとまった雨は4月26日である。以降ときどき降りはしたが、畑をしっかり湿らせる雨というものではなかった。
地域によっては田んぼの水の争奪でもめ事が起きているらしい。その点うちの用水は、天井川になっている中規模河川の自然流下水だから水量の心配がまったくない。ありがたいことである。
しかし畑はいくらかまずくなっている。今必死で播種前耕うんをしている大豆予定圃などは、トラクターで耕すと土ぼこりの白煙がもうもうと立ち上がって前が見にくいほどである。そのため土は小麦粉のようにサラサラ。これではひとたび大きな雨が降れば一瞬でガチガチの土になってしまう。だから本当ならひと雨降るのを待ってから耕うんするといいのだが、週明けの降雨量も大したことはなさそうだし、経営的な事情には勝てず、じっと念じて博打と思って突っ込んでいる。
またゴボウ。今日、保育園のイベントで何本か抜いたところだが、土が硬く締まっていて手ではとても抜けるものではないし、珍しくこの時期にスが空いている。もちろん味には何の影響もない。が何かと説明を強いられるのが面倒くさい。また予想通りでゴボウが長く、それ自体は歩留まりが上がって大変いいこと。しかし専用収穫機で抜けるかどうかという大問題がでてくる。抜けないのなら洪水から脱げ切ることが難しくなってくる。
つくづく、大変な時代になった。
新しい除草機の導入
新しい除草機の試運転。
また除草機買ったのか!と呆れられるかもしれない。私がやる乗用タイプによる除草が毎年タイミングよくできずにコナギにやられているので、春まきゴボウの作付けをやめた今年からこの時期に手が空く女房がやるといって導入したわけ。さすがに乗用は女房にはきつい。
始めは調整が??で焦ったけど、いろいろやるうちに上手くいくようになった。写真のへっぴり腰っもこの後の調整で改善された。あとはこの手に不慣れな女房がどこまで使いこなせるか。
ちなみに島根県なら要件を満たせばこの除草機導入には補助金がつく。残念ながらうちは満たさないので全額自腹。これが高い機械となるか相応の機械となるかはこれからの効果次第。台所は災害続きのため当然楽でない。祈る気持ちだ。
次男の冒険が思い出されてならない
朝からひたすら耕うんの続き。ただ広い今田の田んぼをノイローゼにーなった犬のように延々と行ったり来たりの繰り返す。時折トラクターを止めて降り、転がっている大石を抱えて運転席の足元に積み込む。これがまだまだ延々と続く。我が選んだ人生とは何とも単調で味気ないものかな。
そんな今日、トラクターを運転しながら、先日次男が自宅から会社まで自転車に乗ってやってきたことがなぜかやたらと思い出される。7km離れた事務所を目指そうと思ったときの彼の好奇心と高揚感は如何ばかりであったろうと。補助輪が取れたばっかりで、新たにあてがわれた少し大きめの真新しい愛車のおかげで湧き上がってきた気持ちでもあったろう。まるで私が次男になり切ったかのように想像して、次男が愛おしくて仕方がない。彼にとっては、自分で決めリスクを背負い親に内緒で実行した「周囲が認知した」初めての冒険であった。
(以前私と2人で歩いた時のもの。この道を1人でどんな思いで走ったのか。)
私の人生は、そんな好奇心と高揚感を求めた冒険の連続であった。一歩踏み出した先にはどんな世界が広がっているのか。高校から家を出たことも、自転車の旅や山登りも、安定した家業を放り出して農業修行に出たことも、そして今の農業を始めたことも、みんなその延長、もっと言えば「ロマンチシズム」の体現であった。
それが今や土地(農地)に縛られ、生き物に振り回され、あまりに地味過ぎてロマンとの接点が皆無のようにも見える私の今の日々である。しかしお釈迦さんの言葉、「大志を抱き、日々同じことを繰り返すとき、悟る可能性がある。」
世の中をよくするために、自然栽培を通じて自然界の真理を知り、それを発信するというのが私の大志である。悟るかどうかはひとまず置いておいたとしても、このお釈迦さんの言葉を知ってしまった今、私には迷いがないし、この今の生き方自体にロマンチシズムを見出すことができる。
また偶然というのはあるもので、昼休憩に事務所へ帰ってきたと同時に、生前のお袋と親しくしてくれていたおばさんが立ち寄られて、この時の次男と街中で会った時のことを話された。びっくりして、今でも忘れられないのだと。そのことを一言私に伝えたかったらしい。あまりにタイムリーで私も驚いたことだ。