洪水と共に歩む

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洪水のリスクヘッジ

工夫の第一は、兎にも角にも「作型」の研究である。つまりどの時期にどんな野菜をどのくらいの規模で栽培するか、ということ。もちろんこれについては洪水とは関係なしに、どんな農業者でも考えざるを得ないことだが、ここに洪水の視点を入れる。つまり7~8月に洪水が来たとして、被害が最も少なくなる作型を考えるのだ。

ゴボウは洪水(冠水)に弱い野菜なので、洪水に遭ったものは諦めざるを得ない。しかし毎年来るわけではなかろうから、少しでも影響を受けにくくすることを考える。すると当地で一般的な「春まき~秋収穫」よりも、「秋まき~夏収穫」がいいということになる。そして何とか軌道に乗せ、うちの経営の代名詞になっているはんだ牛蒡の量産が可能になったわけだ。

また洪水に強い大豆の拡大とサトイモの導入。さらに洪水に遭わない大麦とニンジンの導入。こうやって一時のうちの主要6品目が揃うことになった。(近年は大麦とニンジンは作付けなし。)

そして次なる工夫が、経営農地の分散。田津地区に大きく頼った営農ではリスクが大きい。そこで江の川本流沿いではなく、洪水に「より」遭いにくい支流の八戸川(やとがわ)沿いの今田地区で広く農地を借りた。その結果、当時の全農地20haのうち、江の川本流沿い13ha、今田地区7ha、と分散することに成功した。その後各地区での農地の増減を経て、今では全農地17haのうち、江の川本流沿い7.5ha、今田地区9.5haとむしろ後者の割合を大きくしている。

(今田地区の全景 2017年)
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まさに狙い通りで、この度の災害では田津地区でゴボウが大被害に遭ったにも関わらず、今田地区のお米と大豆が無事なおかげで、すぐに経営危機ということにはならないわけである。ちなみに今田地区は2013年に湖の底と化したが、この度もそうなった。しかし流れがない「湖」のため、冠水に強い稲と大豆はまったく無傷なのだ。

(巨大な湖と化す今田地区。これは2013年8月の様子。この後右の道路もすべて沈んだ。)
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こうやって機能したリスクヘッジであるが、これらの経緯は大変なものであった。しかし間違っていなかった、やってよかった、とこの度は心底思える。おかげで息の根を止められずに済んだ。しかしながら500万円超の被害額は決して小さくない。まだまだ工夫が足りなかったと言える。では何が足りなかったか。

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# by tanboya3 | 2018-08-22 18:08 | 経営(作型・作付け体系)

この度の洪水の総括

この度の洪水の総括というか、状況などの報告をボチボチしていきたい。

うちの圃場は、4~5年に1度は17haすべての農地が洪水に遭う。2004年の就農以降は、2006年、2010年、2013年、そしてこの度の2018年だ。洪水といってイメージがわかない人が多いようだが、要するにすべての農地が川の底になるということだ。深いところでは5メートルくらいは沈んでしまう。
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それが今回は規模が大きかった。トップページに使っているこの写真でイメージしてもらいたいが、空か見ると、山裾に列状に点在する家屋や施設をすべて飲み込んで、左の山裾から右の山裾まですべてが川。ただ中央下の私の自宅のように少し高い家だけが浸水を免れる。これは1972年の大洪水に匹敵する規模。50年に1度くらいで大きなのが来ると言われているが、その通りとなって、46年ぶりの大洪水になったというわけである。

こんなところで営農している。初めは幾分不安があった。こんなところで経営が成り立つのかと。それでも始めたのは、ここが故郷だったからという理由がもちろん大きい。私がもしもよそ者だったら、まさかこんなところで就農しようなどと思うものか。だから初めは幾分「諦め」もあった。しかし年を経るにつれ、実はこの田津の土が奇跡の土だということ、そしてそれは度々起こる洪水のおかげで作られたということを、理屈ではなく、実感として、実践者レベルで知ることになる。こうなったら、ここで経営を作らないのはあまりにもったいない、この奇跡の土を活かして奇跡の農産物を経営として作っていくということは、この田津地区の置かれた状況を冷静に見て、これはもう私の使命だろうと思ったわけである。

そこで洪水を念頭に置いた様々な工夫をしてきた。次回はそれらを紹介する。


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# by tanboya3 | 2018-08-21 18:06 | 経営(作型・作付け体系)

畑の復旧について

久しぶりに書く。今年はオチビの体調不良で女房の里に行くこともなく、ほぼ毎日作業をしていたのだが、いまいち書く「間」がなかった。「間」の条件としては、最低でも「事務所で休憩を取る」ことが必要だが、その時に「客や息子たちが来ない」必要がある。そういう瞬間がここ数日はなかった。

災害の片づけは一段落ついたのか、ということを最近よく聞かれる。まあボチボチですね、といつも適当に答えているが、実際には何とも説明のしようがない。うちが被災したのは広大な畑のみで、施設には被害がない。畑の復旧というのも作業の種類は少なく、畑にできた凹凸を直すことと、倒れ込んできた竹木の撤去のみといってもいい。そしてそれらは、機械の復旧とともにようやく先週から始めたばかりで、それまでは何もやっていないのである。

畑の復旧については重要な視点があって、それは農道の復旧が為されなければならないということである。現在田津地区の農道で通行不能になっている箇所は数百メートルあるが、これについては市に要望を出しているところ。復旧には自己負担が必要と聞いており、農道は共有部分なので金の出所が問題だが、田津地区は幸いにも「中山間直払制度」による組織があり、そこが負担できる。私はその組織の代表をしているので、こちらのことも頭を回して行かねばならない。

以上のようなところで、復旧についての先の質問については「まだほとんど何もしてません。これからです。」というのが正解だろう。

復旧は先週からようやく始めたと書いたが、進捗具合はというと、これはもう亀の歩みだ。他に大豆や稲の管理作業も何やかんやとあって、復旧に構っている暇がない。また復旧!と言うのは簡単だが、何をどうすればいいかマニュアルがあるわけではなく、その都度一々考えながらであるため、他人にお願いすることも簡単ではない。

とりあえず秋の作付け上で必要な個所を優先することにし、残りは冬の間にやることになるだろう。

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# by tanboya3 | 2018-08-20 18:06 | 洪水

長男との石鎚山登山

先週、母が生きていれば74歳の誕生日に、長男と2人で西日本最高峰である石鎚山(1982m)へ登ってきた。この山は私にとって3度目のトライとなる。1度目は20歳の時の単独行。15km東方の笹ヶ峰(1860m)から残雪期の縦走を試みたが、悪天で予備日を使い果たし、山頂を目の前にして下山したという惜しい思い出だ。2度目は27歳の時に今や最大の登山基地である「土小屋」から県内の山仲間と4人で、強風と霧の中を今度こそ登頂。というわけで21年ぶりの再訪となった。

この度のお楽しみの一つが、息子の初めての野宿(テント泊)。前日に麓の沢筋の林道を車で詰め、頃合いの場所で。私自身もう何百泊したか分からない野宿というものを、いつかさせてやりたかった。アブの大群に襲撃されたり、夜中に山の茂みから「バキッ!バキッ!」と聞こえてくる音が気になったりして、息子にとってはとても面白い体験になったようだ。
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翌朝、テントを撤収して出発。今回は従来の表参道である、成就神
社ルートで。8:00始発のロープウェイで1300mまで高度を稼ぎ、息子ともども意気揚々の船出である。これは下山時の夕方の写真。
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成就神社は、車道が通じていないこんな山の上にこんな施設が!と驚くほどの立派な趣き。もちろん今の時代、人影は登山者がパラパラというところだが、かつては参拝者で賑わったはず。そんなことに思いを馳せる。
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ブナの大木前の巨石に飛び乗ったりして、この頃までは順調な息子
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このあたりから、デジカメの電池切れ予告マークが点滅し始め、撮影をセーブすることに。

北壁への取付き直前。ここに来るまではすでにかなりグズグズになっていたが何とかかんとか。ここから一気に高度を稼いで山頂へ向かう。
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11:50。弥山山頂。
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ここでラーメンを煮て食って、さあいよいよ真の山頂である天狗岳へ。
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わずか200mほどの鼻先であるが、ここへのルートは岩場で難易度が高くかなり恐怖感もあるため、年配者や女性はほとんど行かないようである。また眺めていると、子供はほとんど途中で断念して帰ってくる。高所が嫌いで「絶対無理!!」と渋る息子を説得していざ出発。

怖い怖いと言いながら、必死で進む息子。私はこの周りをカメラ片手にサルのように走り回る(笑)。
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断崖絶壁。
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そしてついに登頂。西日本最高峰。
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しかしこの後が大変だった。息子がすっかりバテてしまい、弥山に戻るだけで一苦労。そして何とか下山にかかるも、体がだるい、頭が痛い、腹が痛いと言ってなかなか歩けない。しまった判断を誤った、山頂小屋で休憩するべきだったと、自分の判断の誤りをこのあたりから悔やみ、いろいろないろなパターンを想定、覚悟も決める。

1分歩くと5分休むというひどい状態になったころに直下の休憩小屋についた(2枚上の写真の右端)。ともあれ休憩だと小屋で横になって休んでいると、幸いにも復活してくれた。もちろん本調子ではないし、両足首も痛めたらしく、休み休みの下山。17:20、最終便の40分前に何とかロープウェイ駅に到着した。

最後はドタバタだったが、息子の反応は上々。いつものパターンではある。しかし今回は私の計画に少し無理があったと反省。終わってみればいい経験、というのは簡単だが、もう少しヒヤリの可能性が少ない山行を次は計画したい。


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# by tanboya3 | 2018-08-14 17:59 | 家族

田津地区の管理を開始

洪水後、ようやく田津地区の管理を開始。もっと早くに始めたかったが、モアを使うべく27PSトラクターの復旧を待っていたので遅くなってしまった。

田津地区の一面の土色は、すっかり緑色に変わってしまった。兎にも角にも、緑肥と雑草の粉砕から。不陸直しや土の移動、竹の除去などはそれから考える。

今日、まずは2時間ちょっとやったが、これは膨大な時間がかかりそうだ。秋の作付けを睨んで、さて、どうまとめるかだ。

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# by tanboya3 | 2018-08-10 17:58 | 洪水
昨日27PSトラクターが復旧。待ちくたびれた。今日からさっそく使うつもり。

今月の一大イベントである、出荷場の片づけが着々と進んでいる。まずは最低限の場所を。ビフォーを撮っときゃよかったな。
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この暑い夏に、屋内作業だからといってほとんど優位性はない。午前中はまだいいが、午後はまったくだめで、夕方6時でも37度あるからね。命懸けかよって。

既に1つ機械が搬入済み。お盆を挟んで、この中の部屋が賑やかになる。私の頭も賑やかになる。

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# by tanboya3 | 2018-08-09 17:54 | 経営(全般)
JR西日本が誇る豪華観光列車「瑞風」関連のパーティーに参加した。私は食材の生産者として。会場は、もうかれこれ10年以上お世話になっているボンヌママン・ノブだ。

1時間40分の道のりを車で向かっているとき、珍しく、このたびダメにしたゴボウのことがやたらと頭に浮かんできた。昨年の10月から準備をし、11月に種を蒔き、トンネルを立て、その頃に母が亡くなり、亡くなった翌日だって頑張って立てて、何とかヤリクリで立て切り、冬はひたすら草を削り、春は換気作業に精を出し、ようやく収穫までこぎつけた、それが一夜にして大部分を失った・・という極めてベタな回想である。

もうすっかり農業者になったおかげなのかなんなのか、日頃はいちいちセンチメンタルな感情というのは湧いてこないものだが、それは今日がちょうど被災1ヶ月目ということがあったかもしれない。また久しぶりの1人での非日常で(子供が小さいとこういう時は中々ない)、たまたま頭が覚醒したということもあったかもしれない。しかし普通に考えて、一番大きな理由が、今向かっているのがパーティーの会場だということだろう。なにしろ1年前の前回は、乾杯がゴボウスープで行われ、私のみ挨拶を求められるという主賓級の扱いをいただいたのだ。胸騒ぎがするのは必然だったかもしれない。

そして予想したとおりに、私は会場で打ちのめされることになった。私はゴボウあっての私なのだ。しかも度を抜くゴボウが大量にあって、初めて私は私なのだということ。何とか掘り上げたゴボウが2~3トンあるじゃないか、という慰めは意味が無い。10トンを優に超えるゴボウの管理をし、それを育て上げた、ということでようやく私は私にアイデンティティを抱けるのだと。

これまでにも、「私は大した人間ではないが、ゴボウのおかげでみんなが持ち上げてくれる」という言い方を随分としてきた。しかし今回、漠然としていたその正体が分かった。持ち上げられる「こそばゆさ」ではなかった。育て上げた自負に対して感じるこそばゆさだったのだ。

このたびの災害。当然私なりの反省をし尽くしているが、ボチボチそのことにも触れていきたい。うちの今回の被災は、天災でもあろうし、人災でもあろう。しかしかなりの割合で「私災」である。私次第で随分と被害を軽くすることが出来たのだ。今日はそのことは置いといて、つまり最後まで、収穫開始を3日後に控えて最後まで育て上げることが出来なかったのは、あまりにも私自身の罪であり、私は私であることを、私の無能によって放棄したということだ。

パーティ会場でそんなことに気付き、しばし消沈したのは事実だが、すぐさまそれは意欲へ変わった。私が私らしくあるためにするべきことは、あまりに分かりやすい。しかも私災と言えるだけあって、次への改善の余地がはっきりとある。

生きるなら、胸を張って生きたい。それが私にとっては・・今のところ・・もちろん今の品質を維持した上で、大量のゴボウということなのだ。


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# by tanboya3 | 2018-08-06 17:52 | 生き方

亀井亜紀子さんも来畑

ミーハーな私には、立憲民主党の枝野さんに先日会えたことは嬉しいことだったが、3日前には今度は同党の亀井亜紀子さんが畑へ来てくれた。

亀井さんは先の衆院選の島根1区で自民の細田さんに惜敗し、比例復活の身。しかし初出馬の2007年の参院選で自民の景山さんを堂々と破って勝利したことは島根県民ならだれでも覚えていることだろう。

そして出所の凄さ。人間は出所じゃないんだよ!というのは分かってはいるが、まあいいじゃん、凄いんだから。(→こちらから)

というわけで、私にとっては枝野さんより身近で、会いたかった人の1人に間違いない。

と、立憲民主党が支持政党ではない私がこんなことを書き始めると、きっと眉をひそめる御仁がいるに違いない。私はどんな立場の人にだって、これはと思う人とは誰でも会うし、凄ければ凄いと認めるよ。意味のない忠誠心なんてないからね。ほんと下っ端に限ってこういうことに目くじらを立てるものだ。

話を戻して、亀井さんは会った瞬間は背の低さ!に驚いた。しかし話していると思った通りの熱さが伝わってくる人だった。それだけで大きく見えるというものだ。お会いできたのは直接的には良く知った秘書の大国くんのおかげだろうが、先日枝野さんに語ったことがどういうことなのかをもう少し知りたかったとのこと。発信のし甲斐があるじゃないの。

私の主張はとかく変わったものと取られかねないけれど、私はただ洪水に遭う当事者として考えることを素直に発信しているだけで、何も間違ったことは言っていない。現に説明するとほとんどすべての人が納得してくれるので、かなり正解なのだろう。

機会あるごとに発信をしたい。相手が誰だろうと関係ない。「あなたとは違うんです」と言った首相がいたが、あれは良かった。

最後に記念撮影を。やっぱり枝野さんにもお願いするべきだったな。
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# by tanboya3 | 2018-08-05 17:51 | 洪水

24回目の生存記念日

今日は毎年祝う「生存記念日」。昨秋に母を亡くし、それ以来、改めて「死」について・・ひるがえってそれは「生」についてでもあるのだが・・それを今まで以上に深めて考えてきた。

時に思いつめたこともあって、そんな時には、例えば自分の死について極端な考えが浮かんだりもしたが、それが冷静になった時にも意外と捨てがたい考えだったりして、じゃあそのことを今日のブログで紹介してみようと温めていたが、一般的な価値観からするとあまりに刺激が強すぎることは間違いなくて、いざ書こうとして、すっかり腰が引けてしまった。黙って棺桶まで持っていくべきだろう。

ところで密かに祝う午後3時といえば、今年は長男と買い物へ出かけていたので何もなし。冒険旅行へ行こうと話しているのだが、その準備のためだ。改めて何をするわけでもなく、こうして大好きな息子とさりげなく共に時間を過ごすだけで十分だとも。

そしてこれまで、8月3日には必ず同じタイトルで何か書いてきたけれど、もうこれでお終いにしようかと思う。以前少し触れたが、あれからまず目標にしたほぼ倍を生きてきたということもあるし、何より死についての感じ方があまりにこれまでと変わってしまったから。

しかし書かないだけで、当然これまで通りに生を噛みしめる日ではある。さあ、また・・この過酷な暑さの中で、1日1日を生きるぞ。

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# by tanboya3 | 2018-08-03 17:50 | 生き方

今時の大豆

私の体も復旧。しかしまだ本調子ではない。現場作業は朝一の大豆キュウホー掛け1haのみで止めて、事務所にこもっているところ。

ついでに今年の大豆について少し触れる。

6月中旬蒔き(4.7ha)については、発芽後の生育と1回目の除草については順調だったが、2回目の除草のタイミング頃に先の災害に見舞われ管理機(愛さいか)が使えなくなってしまった。しかしまったく同型の愛さいかをやさか共同農場さんが貸して下さったので、タイミングを少し外すくらいで2回目の除草はできた。

しかしわずかだがタイミングを外しているため、成果が悪い。もう一度入れれば遥かにマシになったのだが、ご承知の通りのこの暑さ。疲れが優先して入れなった。

そのうちに修理に出していたうちの愛さいかが復旧。既に最終工程の土寄せの適期になっていたので、いざ、と始めた途端にエンジンがかからないトラブルで再入院。これが痛かった。共同農場さんには代替機をもう返却していたので、再復旧をジッと待つしかない。結局土寄せはそれから5~6日後に。

ひどいところではこんな感じ。
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ここを土寄せするわけだが、こうなるとどうにもならない。残念ながら草の繁茂に甘んじて、これだけはという草(ホオズキ、オナモミ)を後日手取りすることになる。

一方で遅まき(2.3ha)の方は、これは仕方なく遅まきになったのだが、リスクヘッジになったかどうか。一時は心配した発芽だが、砂漠のような畑面から、ムラはあるものの、ほぼ発芽してくれた。遅まきがゆえの収量減は過去の経験から言って免れまいが、嬉しくて驚いているのが草がほとんど生えないこと。いつもならこういう乾燥時にはイヌビユが旺盛に生えてくるのだが、今年は生えない。おかげで今、播種14日後だが、草のない中で「草を見ずして草を取る」の極意通り100%の精度で除草ができている。あとは収量が裏切ってくれたら。

左が7月18日蒔き。右が6月18日蒔き。
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# by tanboya3 | 2018-08-02 17:50 | 作業・技術(大豆)

はんだ牛蒡ブログアーカイブ。月1回更新。日々のブログは、http://handa-shizensaibai.jp/          


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