洪水と共に歩む

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採用を決めた

この3日間悩みぬいた末、募集していた正社員の採用を先ほど決めた。採用はまだ先の9月ごろから。なぜ悩みぬいたのかは、そのうち紹介することになるだろうが、今はすっきりした気分だし、怪しいこと好きの私にとってワクワク感が半端でない。

農業分野は、一般に給料が低い。それには事情もあって、そういう場合、あまりスキルが求められない作業に対しての求人であり、逆に言えば、給料が低くても社会通念上それに見合っていると認められるからである。

しかしうちの場合は作業の専門性が高く、安給料では明らかに見合わない。だから「年収200万円以上」とは書いているが、これはあくまで作付けを増やすまでの最低ラインであって、「普通に」やってくれさえすれば、2~3年目からはそれなりのレベルが払えるだろう。300万は堅いだろうし、本人の意思で頑張ればまだ増やせる。求人にはそういうことは敢えて書かなかった。

今「普通に」と書いたが、農業分野では何気にこれが厄介で、以前土木会社だったうちから言わせると、せめて土木会社に勤めているくらいの頑張りはしてもらいたい。逆に言えば労働時間含めその程度でしっかり給与が捻出できるように技術革新を進めてきたつもりだ。そして満を持しての募集だったわけ。

「農業従事者は社会の底辺層で十分だ」と頑なに考えている人は、相変わらずうちのことを厳しすぎるなどと揶揄するし、反田は人を雇う気もなくてただの自己満足の域から出ないと批判する。しかし、うちが是とする自然栽培などの栽培がそれを困難にしているという事情に触れられることはないし、雇用実現のためには作業簡易化という作業革新が必要でそこに腐心しているという事情も分かってもらえるものではない。むしろそういう視点で着実に進めていけば、30年後、50年後くらいにはさらに数名雇える可能性だってあると思っているし、こうやって事実を示していくしか理解してもらう方法はなさそうである。

もっとも30年後、50年後にはもちろん私は死んでいるだろうが、そんなことをいちいち気にしていたら、自然のスピードで経営を作るという鉄板は叶いっこない。冒頭でそのうち触れると書いた悩みぬいた事情というのもまさにそうなのだが、誤解を招きまくり、世間の常識にいちいち抗うことを強いられるこの自然栽培による農業経営というものが、なんとも面白くてたまらない。

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# by tanboya3 | 2018-04-27 16:11 | 経営(全般)

目標だった48歳の誕生日

今日は誕生日。例によって忘れていて、女房から言われて気がついた。まあ、何事も厳密な(爆)私に言わせれば、生まれたのが夕方らしいので、まだ「おめでとう」にはならないのだよ。

とくだらんことは置いといて、48歳というのはいい。48とは、1、2、3、4、6、8、12、24、と約数を8つも持っている。それだけで気分がいいではないか。あとこれからなら、逆に53、59とかの素数も気持ちがいいし、約数でいうなら60は当然いい。こういうの、ない?俺、数学好きだったからかね。

大真面目なことを一つ。48というのは実は私が以前から目標にしていた歳なのだ。まずは48まで生きよう、と。毎年8月3日に書いているが、ヒグマ事件が24歳だった。まずはこの倍を生きようと。若き日に私は、そう誓った。

それがついに来たか、という感慨。しかも当時想像だにしていなかった充実した人生を伴って。思ってもいなかったことは、お袋がいないこと。次24年後は72歳。お袋は73歳で死んだ。次の目標はたちまち73歳ということになるか。自分の親より長生きするというのは、とりあえず親孝行といえるんじゃないか。自分の子供らに当てはめてみると間違いない気がする。お袋自身はあと1歳足りなかったようだが、私はきっと超えてみたい。そしてまだ親父がいる。目標としてちょっと無理だというくらいに元気で長生きしてくれ。

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# by tanboya3 | 2018-04-17 16:09 | その他
昨日は強風予報。この時期のトンネルは高温になりやすくて閉めにくいので、運に頼んで開けたままやり過ごすことに。草取りをメインに午前中いっぱい作業をして、正午、自宅に戻ろうとゴボウ畑を出ようとしたら、凄い音とともに遠くの竹やぶが押しつぶされるようにシナり、それがこちらにやってくる。ややや、来るぞ、と覚悟をした直後、ボン!と隣の圃場のトンネル2棟分の中央部分ビニールが大きく外れて盛り上がり、次の瞬間今度は目の前のトンネル12棟分の小口部分ビニールがボボボボボン!と一斉に弾けた。まるで連続小爆発。さらに続けて立っていられないくらいの局所風が私を襲う。

一瞬の出来事で、茫然と。我に返り慌てて最低限の応急処置はしたものの、強風の中では如何ともしがたくそれ以上は諦める。夕方戻ってみると4棟はすっかり剥がされてしまっていた。

3年ぶりにやられてしまった。まあ、そろそろビニールを剥がす時期なので、そんなに深刻さはないが、ビニールの撤去が面倒になるのが億劫。さらに2年前にこういう実験をして、「開けたまま強風を迎えるならどうしなければいけないか」を学んだわけで、今回はそれを活かせなかったからかなり残念。活かせなかった理由は前日の苗代作業であまりに疲れてしまったこと。

いくら理屈上で管理のポイントを分かっていたところで、くたびれただけで出来ないんだから、それを込みで段取りを組まねばならないのに。これも分かっちゃいるけどできないなあ、の典型。ま、常に鍛えられている、ってことで。

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# by tanboya3 | 2018-04-15 16:08 | 作業・技術(ゴボウ)
昨日の夕方から苗箱を伏せ始めた。昨日中に252枚、今日午前中に420枚。残りは348枚である。一見して、今日終わる。

ただ、疲れている。そして午前は女房がずっとフリーで補佐してくれたが、午後は私1人で開始しする。夕方には女房が戻ってくるが、オチビを背負っての作業。そして都合で、18時にはすっかり作業を終えたい。ちょっとタイトか。

雨明けの来週初めに持ち越してもいいと昨日書いたが、やはりできれば終わらせたい。昨日をもっと苗代優先で動いていたら、余裕で今日中に終わったはず。とすると、苗代は1000枚規模なら、苗床をたたくところから始めて2人で2日。今後考えている1ha増の1300枚規模でも、3人でやればシート類の被覆を含めて2日で十分っぽい。逆に考えて、3人でシート被覆まで2日で終わらせるのに、何枚までなら対応できるか。1500枚?1700枚?これで当面の規模決定を考えるつもり。

「タイミングごと」というのは、短い日数でケリをつけられるほどリスクが減る。それで苗代は2日という日数が現実的かと考えているところ。ゴボウなら洪水でタイミングを強いられる収穫リスクを筆頭に、トンネルビニール剥がしという作業も意外にもこの対象である。それらからトンネル40棟規模かと。大豆の場合はとにかく除草。これは昨年4条処理を実現して今の規模が確定した感じ。

規模拡大や雇用の要請、単価の下落、体力の低下、気象や環境の悪化・・などなど、先々の可能性にはいろいろあるが、どんなことにも対応できる力をつけるだけつけておきたい。それには今の方針で間違いないはず。さあさあみんな、うちなんか相手にせずにやって行こう。

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# by tanboya3 | 2018-04-13 16:07 | 経営(全般)

稲の育苗培土のこと

稲の播種を昨日今日でやった。半日ずつで、今年も自然栽培区380枚、施肥区640枚。

施肥区は購入山土を使うが、自然栽培区のほうは、田んぼの土(床土)+稲わら堆肥(覆土)でやっている。なるべく自然に則した姿というものをイメージするとこうなったわけだが、そんなことに拘って、手間暇かけてまでして何かいいことがあるのか、と聞かれれば、今のところは微妙だと答えるしかない。山土代が2万円(10a当たり1600円)くらいケチれるというのはもうメリットのうちに入らない。そのくらい面倒くさい。といっても冷静にデータを取ってみれば床土と覆土の両方を準備するのに20時間はかかっていない。であればこれは選択肢として、面白くはないが、有りである。面倒くさいのは単に気分の問題といえるだろう。

稲わら堆肥による覆土。これは表面が乾いている。
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昨年少し触れたが、この度は稲わら堆肥を覆土だけでなく床土にも利用してみようと、いつもは2年半のところを3年半腐熟させてみた。この1年の差は大きく、すっかり土と化して播種機利用の床土として全く問題なしであった。が、すぐやめていつも通り覆土のみの利用とした。床土は今のところ田んぼの土利用で十分である。稲わら堆肥よりも田んぼの土の方が準備が2倍くらい楽だからである。それでも生育に差が出れば検討の余地はなくはないが、どうもその気になれない。

今年のようにすっかり土化した堆肥であれば、播種機はよりスムーズに機能してくれるはずだったが、ちょっとオチが付いた。2月17日に書いたように、冬の間に堆肥の山に草をたくさん生やしてしまい、それらは手で抜いたのだが、細かい根がたくさん残り、播種作業で次第に播種機に溜まってきて不具合がある。だから時々中断してその除去を強いられる羽目になった。分解の遅い夏以降は堆肥の山に草を生やしてはダメということだ。

今後も床・覆をこの組み合わせでやっていくとして、目標は切り返しをもう少し頻繁にやって1年半ですっかり土と化すことだ。2年半、3年半と時間をかければ切り返しを「頻繁」にやらなくていいということでやっていたが、実は1年半ものも3年半ものも切り返す「回数」は変わらない。分かっちゃいるけどできないのよ、ということの典型で、まあ近々解決はするだろう。

他にも何点かポイントがあるが、ここでは省略。

ところで今回使った稲わら堆肥だが、2年前の5月末に愛知県から見学・体験に来た、これから農業を始めるという遠山君に切り返してもらったもの。この遠山君、無事新規就農を果たし、それなりにいいスタート切ったらしかったが、先月、急逝したと聞いた。まだ30代。なかなか面白い男で、有望性を感じながら、二晩酒を飲んで語り合った。それがまさかの訃報。どうしてこんなことになるのか。私など生きているだけで運がいい。彼に切り返してもらった堆肥は来年使用分もある。来年も偲びながら使いたい。ただただ冥福を祈る。


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# by tanboya3 | 2018-04-10 16:06 | 作業・技術(水稲)

当地で珍しい大きな地震

島根では珍しい震度5強。お気遣いのご連絡を頂いている。当地では震度4程度とのこと。ご安心いただければ。

震度は大したことがなかったとはいえ、この度は深夜。我が家は築160年近い古屋で、柱のあちこちが傾いており、それは少しずつ進行しているから、揺れるたびに軋むような感覚は正直不気味なものである。しかも幼な子らを抱えているからなおさらだ。珍しく続く余震のために、いざというときのイメージトレーニングをするはものの、家が潰れたり裏山が崩れたりするほどの揺れの中ではどのみちほとんど動けないだろうから、一番いいのは今のうちに外に出て待機することだが、寝ている子らを起こしてそれは少しやり過ぎだろうという気がして、こりゃあ、無駄だ、寝よう、ということに落ち着いてしまう。

今回続いた余震というやつ、私としては初体験だ。しかも揺れる前には、大地からゴーというかグーという地鳴りが聞こえてくるから、何とも不気味で眠れない。

この地鳴り、揺れる前には必ず聞こえるのだが、聞こえたからといって必ずしも揺れるわけではない。初期微動と主要動の2段階の揺れもあったりなかったりだ。これは何か面白い法則性があるのではないかとしばらく観察していて気がついた。地震が起きれば必ず地鳴りが起こって聞こえるのだが、揺れが小さければ体には感じず、少し大きければ主要動のみ感じ、もう少し大きければ初期微動と主要動を感じるだけの単純なことじゃないかと。なんだ、つまらない。

そのうち再び眠りに落ちた。何度か揺れで目が覚めたものの、あっけなくすぐ寝入るを繰り返し、朝までしっかりと寝てしまった。

当地には、かつて浜田沖地震というのがあった。これは日本の地震シリアス17に入る大きなものだ。何年後、何百年後か何千年後かは知らないが、いつか必ずこれ級の地震は来るのだから、日頃からできる対策はしておくとして、最後のところでは成るようにしか成らないと達観するしか仕方がない。

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# by tanboya3 | 2018-04-09 16:05 | 暦・天候

三江線を偲ぶ

JR三江線が廃止になって今日で1週間。生活は何も変わらないが、田津の畑から今後はまったく汽車を見ないのだという事実が、何やら不思議である。

私は廃止賛成の立場で、もっと早くに廃止するべきだったと思っているが、三江線への思い入れはあった方だろう。私は田津のオカタ谷で生まれたが、2~5歳のころは川越駅前に住んでいた。毎日のように汽車を眺め、駅の敷地で遊び、汽車と競争したりなんかもしょっちゅうしていた。当時はまだ蒸気機関車も走っていたので、私が書く絵といったら煙をもくもく吐く汽車ばかり。そんな記憶もはっきり残っている。

汽車に乗って江津駅前の「トーワデパート」へ行くことは当時の最大の楽しみであった。5両くらい繋がり、ずらりと並ぶ満席のボックス席。通路に立ち、こっちが右でこっちが左、などとお袋が「向き」について私に教えているシーン。トーワで買ったおもちゃを窓枠に置いた手に持ったまま眠ってしまい、手を放した瞬間目が覚めて、鉄橋の下へおもちゃが落ちていくのを眺める悲しさ。

中学3か年は、川越~川戸間を汽車で通学。帰りの時刻に間に合わず、300m手前くらいから手を振って走る。すると運転手さんによっては待ってくれる。帽子を脱いで一言お礼を言い乗り込んだあとの安堵感といったらない。何せ、次は2~3時間後なのだから。

ラストランの3月31日は、もう三江線廃止を偲ぶためだけにあったような素晴らしい日だった。空は晴れわたり、暖かく、無風。例年にない早い開花で桜は満開。草取りマラソンに行った夕方、畑から下り列車を見送る。手前は緑肥が芽を出したばかりのうちの畑。
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最終列車は家族で見送りに。次男が喜ぶ踏切でまずは見送った後、田津駅停車の間に車で追い抜いて、オカタ谷前で桜並木越しに走る列車にみんなで手を振った。きっと私が幼な子の頃、この辺りからこうして汽車を見ていたのだろう。いよいよこれが最期か、と思って感慨深し。

見上げると満月。どこまでもラストランのためにあるシチュエーションであった。

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# by tanboya3 | 2018-04-07 16:04 | 思い出

勉強会へ参加する意義

昨日は予定通り大和ミュージアムへ。息子も喜んだし、私もいい骨休みになった。

骨休みといえば、ちょうど1週間前にも鳥取県へ行っている。こちらは米子のM君の農場で行われた自然栽培の稲作勉強会への参加。忙しい中をチョコチョコ休んでいるわけだ。
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これはその勉強会で、M君が田んぼに穴を掘っているところ。自然栽培をやるときには、まずは自分の田畑の土の中がどうなっているのかを知ることから始まる。圃場毎どころか、同じ圃場の中でも違っていたりするんだから、まずそれを知ること。本当は自然栽培でなくたって、どんな栽培方法でも必要なことなのだが、肥料でそこそこ育つからほとんどの農業者はこんなことはやらないのだ。

今回の勉強会も、まずはこれから始まって、あとは関係者で管理方法や見立ての共有。夜の懇親会をまたいで半日+半日の日程のところを、都合により残念ながら懇親会前においとましたのだが、それなりに実りのあるひと時になった。

私は自然栽培を始めて9年目になる。そして稲作自体は研修も含めると19年目になる。この間それなりに学んできたので、まずまず多くの理論や事例に触れてきたつもりだ。しかも今は、自然栽培のようにまだまだニッチな分野であってもネットで多くの情報に触れることができる。勉強会で出てくる知識や理論や実践例だって、正直その多くはすでに聞いたことがあるというものがほとんどである。

しかしこういう勉強会はやはりいい。「知っていること」と「出来ること」と「やっていること」というのは、やはり違う。知っていることを、如何にして出来るようにするか、そして如何にして実際にやるか、というのはそれなりに難しいことであるが、それにはまず、「それをやる必要性」というものを自分で認識しなければならないという前提がある。ある一つの管理をやるのかやらないのかは、自分がその管理の必要性を思うかどうかがまずスタートである。

そこのところが、実践者が集まって語らう場で有意義である。一つ一つの管理の必要性に正解はなく、何を基準に考えればいいかが分かりにくいことだらけの中で、決め手となるのは、実は「勘」であるだろうと思っているが、その勘が実践者のやり取りの中では働きやすい気がしている。それを求めて、こういう場に行く。このたびも改まって新たに仕入れた情報があるとは言えないが、今後こう変えてみよう、という指針を立てるのには大いに役立った。

自らの生活で可能な限り(経営)、如何に自然界の仕組のみに頼って稲を育て(規範)、如何に多くの米を実らせるか(ロマン)。もっとも稲に限らずすべての農産物についてであるが、人生としてあまりに深く、楽しいことである。

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# by tanboya3 | 2018-04-06 16:03 | 経営(全般)

悲しみは増すばかり

昨日の鬱の理由がもっとはっきりとわかった。義父母と姪っ子2人と親父が、昨日の夕方に我が家に揃う​からだった。姪っ子は兄貴の家庭事情のため親父が数泊引き取ったものだが、こういう時は今までは必ず母が「扇の要」役を果たしてくれたのに、という思い。そして義父母と親父が我が家で10月のお祝いのときの様に揃うのに、なぜ母だけがいないのか、という思い。そんなことらが胸の奥底でうごめいたための鬱だったなと。

母を失った喪失感というのは、一向に減る気配がない。親父も「悲しみは増すばかりだ」と言う。そんな親父を見ているのが辛い。幾度となく喧嘩をし、このクソ親父め!と腹が立ってばかりだったその親父が、どうにも見ていられない。いっそのこと新しい女性でも見つけて遊んでくれればいいと思う。

見ていられない親父のために、じゃあ自分に何ができるかと言えば、週1回家族で実家に押しかけて晩飯を食べることくらいだし、それだって飯の準備は女房に頼っているのだから、私がやっていることなんてそのとき親父と一緒に酒を飲むくらいのものである。初めはももう少しいろいろできるかと思っていた。というより、やりたいと思っていた。しかしこの忙しさである。無理だ。こんな事情が一通り理解できる親父だから、なおさら申し訳なくてならない。

だのに、「お父さんを頼む」という声が聞こえてならない。いや、生前の母なら「ええ、ええ」だろうか。でもきっと違う。・・お母さん、なんでおらんようなった。

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# by tanboya3 | 2018-04-03 16:01 | 家族

効率化と雇用の考え方

作業中に軽い嘔吐があったりして、体が相当まずい・・というときに、昨日は1日隣県へ出張。おかげで体が休まった。今日は朝からフル稼働である。

そういえば何やら続きを書くと言っていた。ので書く。

農業を始めるに当たって、基本ラインの骨格が出来上がるまでは人を雇わない方が良いことは当然知っていた。しかし就農2年目の2005年から2人を常時雇用した。10ha近い農地が揃いつつあるという事情が当然あったが、一番直接的な理由は、大麦若葉の栽培を数ha規模でやる予定だったことだ。2004年に試験栽培をし、面積を増やしたときのシミュレーションをしてみると、その時々で私以外に2人が必要だと、不安を抱えたまま突っ込んだのだ。

案の定、仕事が少ない時が困った。給与の保証のため作業を用意することに私の手が取られた。そのために規模を増やし、隙間を埋めるためにさらに1人雇う。そしていつしか、効率化よりも逆に手間を如何に増やすかという悪循環に陥っていった。当然経営は好転しない。私の給与は実質出ないという赤字が続いた。

農業経営は、機械化も含めて経営をなるだけスリム化し、それで賄えないところを始めて雇用で補う、というのがセオリーだ。そうでなければ決して骨太の経営にはならない。

だから、うちのように機械化して夫婦で大規模にやっていては雇用が生まれない、というような愚痴を関係者から何度か言われてきたが、ここはサラリと流すしかない。手っ取り早く説明したって通じるものではないから。

経営の効率化には一つ肝心なことがあって、「窮すれば通ず」につきるのだが、私の運が良かったことは、窮したということ、すなわち夫婦体制に縮小したときに15haもの契約農地という負債を抱えていたということだ。農地とは植えなければ済むものではない。作付しなくても草が生え、定期的な管理(出費)が必要だ。もちろん地代も払わねばならない。持っているだけで大きな経費なのだ。かといって借主さんに対し「はい、返します。」と簡単にはいかない。また出荷先との信義もある。だからなるべく作付けをしなければならない。それで窮したということ。もしも経営農地が狭かったら、あれだけ死に物狂いで頭を使ったかどうか怪しい。前回紹介した苗代作業の劇的な進歩は、2012年に経営農地が瞬間的に20haに増えて(それまでは16ha)、うち水稲を5.0ha(それまでは2.7ha)に増やさねばならない事情から生まれたものだった。

最後に誤解を防ぐために一つ触れておかねばならない。夫婦体制に縮小したのとほぼ同時期に、JAから引き継いで始めたばかりの加工部門をたたんだ。このときJA時代からの5人のスタッフに辞めていただいた。今思えばもっとやり様があったと思わなくもないが、当時はあらゆることがアップアップで私の人格が壊れてしまうんじゃないかというほどの心労があったため、仕方がなかった。今でもそのスタッフさんらを見かけると当時を思い出し胸が痛くなる。この懺悔感は、私が死ぬまで抱えていかねばなるまいと思っている。

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# by tanboya3 | 2018-03-30 06:06 | 経営(全般)

はんだ牛蒡ブログアーカイブ。月1回更新。日々のブログは、http://handa-shizensaibai.jp/          


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