山の向こう
当地は江の川の両岸に屏風のように山がそびえている。川や畑は海抜でわずかに20~30mくらいのものだが、山の標高は500mを越える。さっき降った雪混じりの雨はこの山々の上半分に白くかぶさった。初冠雪。
子供の頃、廊下に立って天井を見上げたような縦長の空が不満であった。圧迫感はあるし、東西に長い空のため日当たりも悪い。本で見て覚えたサソリ座も、南の山が邪魔をして全貌をみることができなかった。空が広い土地に出かけると羨ましいと思ったものだ。
裏山に駆け上がって遠くを眺めるのが好きだったが、それでも両岸にそびえる山々の向こうを見ることはできなかった。向こうに広がる風景に思いを馳せると、もうあらゆる事がつまらなくて、ただただ、あの山の裏側はどうなっているのだろう、あそこに登って向こうを見てみたい、いつもそんな思いを抱いていたものだ。
今の農業を始めて今に至っているのは、こういう子供の頃の環境は大きかっただろう。大学時代にのぼせたのが登山というより「行山」。これは造語である。全身傷だらけになりながら、地形図と磁石を片手に全国の道なき深山を歩き回った。
「探検」が好きなのだ。冒険ではない、探検。さまざまな定義があるが、この違いは大きい。今の農業の取り組みはまさに探検。